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No.432 「4歳児の抜歯した乳歯が口内に落ち、歯科医師が小児の上半身を起こし背中をたたき、小児が窒息により死亡。異物落下時の対処に関する歯科医師の注意義務違反を認めた地裁判決」

浦和地方裁判所熊谷支部平成2年9月25日判決 判例タイムズ738号151頁

(争点)

  1. 歯科医師の注意義務違反の有無
  2. 過失相殺をすべきか否か

(事案)

昭和61年8月21日、A(当時4歳の女児)は歯科医師Y1の経営する歯科医院(以下、「Y医院」という。)に母親X2に付添われて訪れた。

Y医院に勤務する歯科医師Y2はAを診察し、D乳歯の急性化膿性根尖性歯周組織炎と診断した。

同月25日、AおよびX2はY医院に赴き、同日午後2時45分ころ、Aは母と離れて診察室に入り、水平位診療用の診察台に仰臥させられ、Y2の診察を受けた。Y2は、D乳歯の抜歯を決め、歯科衛生士にAの両腕を軽く押さえさせて麻酔措置を採った上、Aにやや左を向かせてその顔を自分の左手で軽く押さえ、右手に持った自在鉗子をD乳歯の歯頚部に合わせて脱臼操作を開始した。ところが、事前に抜歯されることを知らされていなかったこともあってか、Aが泣いて嫌がりだしたので、Y2は脱臼操作を中断し、歯科衛生士共々Aをなだめた。しばらくして、Y2は、Aがある程度落ち着いてきた様子になったとみて、前と同じ様にAにやや左を向かせてその顔をY2自身の左手で軽く押さえた上、引き続き自在鉗子を用いて脱臼操作を再開した。D乳歯は歯槽骨から容易に脱臼した。そこでY2はD乳歯を抜き出すため自在鉗子をゆっくりと頬舌的に動かしてほどなくD乳歯が抜けたとの感覚を持ったのとほぼ同時くらいにAが顔を急に右に振り、これがために左頬に鉗子があたってD乳歯が鉗子からはずれ、Aの口腔内に落下し、一方、Aが大声で泣き始めた。Y2は落としたD乳歯を口中から吐き出させようと考え、自分の手でAを起き上がらせて、スピットンに吐き出すように行った。ところが、Aは、起き上がらせられた途端泣き声が出なくなって、呼吸困難の状態を示し、スピットンに吐き出そうとしてもでてこなかった。Aのこの様子を見たY2は、D乳歯が食道内に誤飲されたものと考え、D乳歯を胃の方に落下させようとして、Aの上体を起こしたまま、Aの背中を数回叩き、次いで同室内にいた歯科医師の指示を受けて、Aを逆さ吊りにした形で背中を叩いたり、横にして酸素吸入を施してみたりしたものの、結局状況は好転せず、まもなくAは窒息により死亡した。

そこで、Aの両親X1及びX2は、Aの死亡は、Y2の注意義務違反によるものであるとして、Y1に対しては、債務不履行又は不法行為責任に基づき、Y2に対しては不法行為責任に基づき、損害賠償を求めた。

(損害賠償請求)

請求額:
8513万2764円
(内訳:不明)

(裁判所の認容額)

認容額:
4595万円
(内訳:逸失利益1095万円+Aの慰謝料1000万円+両親固有の慰謝料2名合計2000万円+葬儀費用150万円+弁護士費用350万円)

(裁判所の判断)

1 歯科医師の注意義務違反の有無
(1)

歯科医療の水準

裁判所は、本件死亡当時において、歯科医師治療の際に口腔内に異物(抜去した歯牙を含む。)を落下させた場合の歯科医師の対処に関する歯科医療の水準について、次の通り判示した。

上記の場合には、異物による気道閉塞が予想される。しかも、歯科治療時には、喉頭部が、食事と違い、開放された状態にあるため、発生頻度が高い。そしてこれが生じると、適時に気道確保の措置が講じられない限り急速に窒息死に至る。従って、口腔内に異物を落下させた場合、まず気道閉塞がしょうじていないかどうかを速やかに確認しまだ気道閉塞が生じるまでに至っていないときは、水平位診療であれば、患者を横にしたまま顔を横に向かせ口腔内の異物の位置を確認した上、鉗子等で取り去るという措置を講じ、もって、気道閉塞に至ることのないように処置する方途をとるべきであり、この場合、決して水平位の患者を座位に起き上がらせる挙に出てはならないとされているが、これは、水平位から座位に起こすことによって、咽頭腔に落ちた異物が気管に落下しやすい状態となるからであると説明されている。とりわけ患者が泣いているときや声を出しているときは声門が開いているから、この点が特に強く要請されているところである。

(2)

Y2の注意義務違反

この点につき、裁判所は、本件では、Y2は、自らがD乳歯をAの口腔内に落下させた際、Aが大声で泣き出しており、従ってこの時点ではまだ気道閉塞の症状を示すまでには至っていなかったのであるから、水平位のまま、すなわち、Aの上半身を起こすことなく異物を取り去る措置をとるべきであったとしました。裁判所は、しかるにY2は、かえってその挙に出てはならないとされているところの患者を水平位から座位に起こす措置を採ったのであり、これは上記の歯科医療水準からみて、診療上尽くすべき注意義務に違反しているとしました。

そして、Y2がAを座位に起こした直後に同女の泣き声が止まったことや呼吸困難を示したことで気道閉塞特有の症状があらわれていたのであるから、Y2の上記注意義務違反行為によってまだ口腔内に溜まっていた歯牙が気管内に落下し、本件死亡に至ったものと認めるに妨げないとしました。

Y2は、このような気道閉塞状態がAに生じているのに、これが気道閉塞状態であるとの事態の認識なく、こうした気道閉塞が生じた場合に考えられるところの酸素補給を施すなりしつつ、患者の体位を逆さにして背中を叩き異物を排除させるというような応急の措置を講じないのみか、かえってAの上体を起こしたままでその背中を叩くという更に誤った措置を重ね、遂に本件死亡に至らせてしまっているもので、これらの一連の行動に照らすと、Y2の過失の程度は重いといわざるをえないと判示しました。

2 過失相殺をすべきか否か

裁判所は、Yらは、本件死亡はAが突然首を右に振ったことに起因するから、過失相殺がなされるべきである旨主張するが、もともと本件のような4歳の小児に対し、抜歯をする際完全な体動の抑止を期待するのは困難であるのに対し、歯科医師にとってこのような小児が突然の体動をすることのあるのは当然予想の範囲内にあるものというべきで、そのような事態を念頭に置きつつ、常にこれが対処の方途を考え治療に当たるべきであったと認められるうえ、Y2は、抜歯するにつき付添って来た母親のX2に対し、自ら或いは補助者を介して留意事項の伝達が十分ではなかったばかりか、Aとしては母親と離れ一人診察室の中に置かれて抜歯を受けるという状態の中で恐怖心の生じるのは幼児としてやむを得ないものというべく、加えて、Aの首を振る行動によってD乳歯が口腔内に落下した後、Y2が前示の如き歯科医療に当然求められていた処置を講じるという容易かつ確実な方法で本件死亡に至るのを回避できたと考えられるのに徴すると本件において過失相殺をするのを相当とすべきであるとはいえないとしました。

以上から裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXらの請求を認め、その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2021年6月10日
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