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No.223「直腸癌の患者に対して直腸切断術後、低酸素脳症から高度障害が生じ、二年半後死亡。開業医の術後管理の過失を認めた地裁判決」

大阪地方裁判所平成19年3月9日判決判例時報1991号104頁

(争点)

  1. 術後管理に過失はあったか

(事案)

患者A(手術当時68歳の女性)は、平成15年2月27日、胸痛、背部痛を訴えてY医師の開設するY病院を受診した。
検査等の結果、Aに下部直腸癌が認められたことから、平成15年4月1日、AはY病院に入院した。
平成15年4月10日、Aに対する腹会陰式直腸切断術が行われた。執刀医はY医師及びH医師の2人が担当したほか、手洗い看護師2名(I看護師、J看護師)及び外回り看護師2名(K看護師、L看護師)の態勢であった。
Aは午後2時03分手術室に入室し、午後2時19分、ラボナール及び筋弛緩薬「マスキュラックス」の投与により麻酔が導入され、午後3時07分本件手術が開始された。また、麻酔薬「エトレン」が午後2時45分から午後6時20分ころまで投与されるようになるとともに、マスキュラックスは、午後3時30分ころ以降午後6時ころまで追加投与された。
午後7時15分手術が終了した。午後7時25分、筋弛緩薬の効果を拮抗させるために「ワゴスチグミン」が、その副作用防止のための薬剤である硫酸アトロピンとともに投与された。
Aの状態に特段の問題は生じず、動脈血飽和度はほぼ99ないし100パーセントで推移していたが、血圧については、午後6時30分ころから徐々に上昇し、午後7時頃以降、収縮期圧が200を超える状態となっていた。
午後7時51分、Aの気管内チューブが抜かれた。これに先立ち、H医師は、Aの覚醒状態を確認するため、Aに呼びかけ、開眼、握手、手の挙上を求めたところ、指示どおりの反応があり覚醒していると判断した。
抜管後も、Y医師及びH医師は、Aの呼吸状態等を10分程度観察していたが、特に異常はないものと判断し、午後8時過ぎころ、AをY病院3階の手術室から2階にある回復室に移動させるため、3人の看護師とともにAの移動を開始した。
午後8時05分ころ、Aが回復室に入ると、当直のM看護師も加わり、Aに対し、点滴の交換、酸素吸入マスクの装着、低圧持続吸引用ドレーンの装着、生体監視モニターの計測用電極の装着が行われた。そして酸素については、毎分4リットルの投与が開始され、生体監視モニターについては、Aの場合、脈拍数が120を超えることがあったので、通常と異なり、脈拍数が50〜130回の範囲を外れればアラームが鳴る設定とした。
もっとも、このモニターでは、呼吸数の変動によってアラームが鳴ることはなく、また、Y医師は、Aの呼吸状態に特に問題はないものと判断していたことから、血中酸素飽和度をモニターすることはなかった。
本件回復室入室後の一連の作業の中で、M看護師は、Aの意識状態を確認したところ、呼びかけにわずかに開眼するものの返答はなかった。また、聴診器で呼吸音を確認したところ、呼吸が浅めであると認識するとともに、ゴロ音がしたので吸引をした。しかし、これらの確認内容について、その場にいたY医師に報告したり、協議したりすることはなかった。
午後8時15分ころからM看護師はバイタルチェックを始めた。その結果、血圧は190/100であったほか、同看護師としては意識レベルがJCS(Japan Coma Scale)でⅡ−30と判断し、また末梢冷感を認めた。なお、体温、脈拍、呼吸数及び呼吸状態についての記録は残されていない。
さらに、M看護師は、午後8時30分ころから、Aのバイタルチェックを始めた。その結果、血圧は130/60であったほか、同看護師としては、意識レベルに変化がないと判断し、また、呼吸音については、肺雑音は認められないものの呼吸が浅いと感じた。他方、体温が上昇していないと判断されたため、保温を開始した。しかし具体的な体温や、脈拍、呼吸数についての記録は残されていない。
このころ、Y医師は、Aの状態が安定しているものと判断し、Aの家族の面会を許可した。そこでAの家族がAと面会し、Y医師が大声でAに家族が面会に来ている旨を告げたところ、Aは目を開けるような反応を示すなどした。
面会終了後、Y医師は、M看護師に対しAの監視及びバイタルチェックにおいて特に留意すべき事項を指示することなく、回復室からY病院の4階にある院長室に移った。これ以降、回復室および回復室に隣接する詰所にいるY病院関係者は、M看護師のみとなった。
午後8時45分ころ、M看護師はAのバイタルチェックを行ったところ、血圧は190/96で、意識レベルは同看護師としてはJCSでⅡ−30と判断したが、体温、脈拍、呼吸数、呼吸状態についての記録は残されていない。
午後9時ころ、M看護師がAのバイタルチェックを始めたところ、血圧は174/90で、意識レベルも確認したが、麻酔からの覚醒が遅れているように思われ、痛覚反応や瞳孔対光反射の確認も行ったところ、反応あり、JCSでⅡ−30と判断した。M看護師はY医師に連絡することなく、詰所で経過観察を継続した。
午後9時20分ころのバイタルチェックで、M看護師がAの痛覚反応を確認したところこれが認められなかった。
午後9時27、8分ころになって手術室の片付けを終えたJ看護師及びK看護師が詰所に戻った。J看護師がふとAに接続された生体監視モニターを見ると心拍数が120程度から80程度に急激に下がるのを目撃した。そこで、回復室にいたM看護師に声をかけたところ、同看護師がAの状態がおかしい旨答えたことから、J看護師も回復室に入ってAの状態を確認した。その結果、痛覚反応にも全く反応せず、JCSでⅢ−300状態と思われたため、直ちに詰所から電話でY医師に連絡した。このころ、Aの心拍数は40程度にまで減少した。
Y医師はJ看護師の電話を受け直ちに院長室から回復室に向かい、午後9時30分ころ到着した。
Y医師が回復室に到着したころ、K看護師によりAの肩に枕が入れられて気道が確保された。Y医師は、Aの徐脈及び呼吸停止を確認し、看護師に心臓マッサージを行わせるとともに、挿管、強心剤の投与等の蘇生措置を行った。これにより、Aの心拍数は速やかに上昇したが、Aは低酸素脳症に陥り、その後意識状態が顕著に回復することはなく、四肢麻痺と診断される状態となった。
Aはその後もY病院に入院していたが、複数の脳外科等専門医の意見としてリハビリ以外の対応は困難との回答を得たため家族らがAをリハビリ専門の医療機関に転院させることとし、平成15年11月27日、AはY病院を退院し、W医療法人の開設するW病院に転入院した。W病院担当医は、身体障害者診断書・意見書を作成し、Aはこれにより、同年12月5日、身体障害者等級を1級とする身体障害者手帳の交付を受けた。
Aは、M病院への入院を継続していたが、平成17年10月末ころ、肺炎を発症し、敗血症に陥り、最後は多臓器不全となって、同年11月9日午前2時04分死亡した。
A及びAの遺族(夫、子)が、Y医師の開設するY病院においてAの術後管理を怠ったため低酸素脳症が発生したと主張し、Y医師に損害賠償を求めて訴えを提起した。提訴後にAが死亡したため、遺族がAの訴訟上の地位を承継した。

(損害賠償請求額)

患者遺族の請求額:遺族(夫、子)合計8623万4676円
(内訳:治療費393万8101円+付添看護費364万6500円+入院雑費107万1000円+交通費3万5200円+葬儀関係費246万1419円+弁護士費用1270万円+休業損害901万6608円+死亡による逸失利益1736万5848円+死亡慰謝料2600万円+適切な治療行為の機会喪失等に対する慰謝料1000万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:遺族(夫、子)合計4132万1773円
(内訳:治療費246万0850円+付添看護費300万円+入院雑費150万円+交通費0円+葬儀関係費150万円+弁護士費用380万円+休業損害706万0924円+逸失利益0円+死亡慰謝料2200万円+適切な治療行為の機会損失に対する慰謝料0円。遺族が複数のため、端数不一致)

(裁判所の判断)

術後管理に過失はあったか

裁判所は判断に先立ち、「基礎となる医学的所見」として、低酸素血症は、典型的な術後合併症の一つで、高齢者、開腹手術、全身麻酔後等において、低酸素血症がおこりやすいとされていること、そのため術後管理においては低酸素血症につながる呼吸抑制や低換気の発見、診断が重要であり、呼吸数、呼吸様式、呼吸の深さを観察するなどの視診や、血中酸素飽和度をモニターすることも推奨されていることなどを述べました。
その上で、68歳のAに、全身麻酔の上、開腹を伴う手術を行ったY医師としては、術後の低酸素血症を防止するため、Aが十分に覚醒したと認められるまで、呼吸数や呼吸状態を適切に観察するとともに、一般的には推奨されている血中酸素飽和度をモニターしない以上、意識レベルのチェック等、低酸素血症ないしその前提となる呼吸抑制又は低換気状態を鑑別するためのその余の方法を適切に施行すべき注意義務があったと認定しました。
さらに、Y医師も立ち会っていた午後8時30分のバイタルチェックまでにおいても、Aについて、呼吸が浅めであったり、体温の上昇が見られないといった低酸素血症発症の危険因子が認められたのであるから、午後8時30分のバイタルチェック以降もY医師自らがなおしばらくAの術後管理を行うか、これを看護師にゆだねる場合にはその看護師が術後管理に習熟しているなどの特段の事情のない限り、通常より一層慎重に監視及びバイタルチェックを行い、異常が窺われた場合には直ちにY医師に連絡するよう具体的に指示すべき注意義務があったと判示しました。
その上で、裁判所は、M看護師が術後管理に習熟していたとはいえないことを考慮すれば、同看護師が呼吸数や呼吸状態を毎回適切に確認していた事実その他Aに対するバイタルチェックが適切に行われていた事実を認めるに足りる証拠はないこと、Aの術後管理に使用されていた生体監視モニターは基本的に循環動態の異常を監視するものであって、呼吸動態の異常をアラームによって警告する機能が備わっているものではなく、気道閉塞に至らない程度の呼吸抑制や低換気が生じた場合、上記生体監視モニターが循環動態の異常を感知するまでには相当の時間が経過することになるのであって、上記生体監視モニターによる監視がされていたからといってAの術後管理が当然に適切であったといえるものではないことなどを指摘しました。
以上から、Y病院には、Y医師において、Aの術後管理につき、Aが十分に覚醒した状態にあったとはいえない段階で、術後管理に習熟していたとは認められないM看護師のみに、呼吸数や呼吸状態の確認につき特に具体的な指示をすることなく監視をゆだね、M看護師においても、Aの状態について適切な監視を怠ったことにより、Aの呼吸抑制ないし低換気の進行を見落とした過失があると認定しました。
以上より、裁判所は、上記「裁判所の認容額」記載の金額で遺族の主張を認め、その後、判決は確定しました。
 

カテゴリ: 2012年9月13日
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