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No.179「幼児が転倒し、綿あめの割りばしがのどに刺さったとして救急車で搬送されたが、帰宅後死亡。業務上過失致死罪で起訴された医師につき、注意義務違反はなく、救命可能性も確実ではなかったとして、一審の無罪判決を維持した東京高裁判決」

東京高等裁判所平成20年11月20日 判例タイムズ1304号304頁

(争点)

  1. 医師に割りばしの刺入による頭蓋内損傷を疑い、その確認をする義務があったといえるか
  2. 結果回避可能性ないし医師の不作為と患児の死亡との因果関係が認められるか

(事案)

患者A(平成6年生まれの幼児)は、平成11年7月10日午後6時過ぎころ、割りばしに巻き付けられた綿あめを口にくわえて走っていた際、前のめりに転倒し、割りばしを軟口蓋に突き刺して負傷した。Aはその直後、割りばし(途中で折れて体内に残された以外の部分)を口の中から引き抜いて投げ捨てたが、直ぐに意識を失ったような状態となった。

救急車での搬送途中の午後6時30分ころ、Aは前兆がないままいきなり一気に吹き出すようにおう吐した。

Aは午後6時40分ころ、O大学医学部付属病院救命救急センターに搬送された。

同大学病院の耳鼻咽喉科の専攻医である被告人Y医師(当時医師として約2年2ヶ月の経験を有していた)は、救急隊員から患者Aにつき、転倒して綿あめの割りばしがのどに刺さったが、抜けている、Aが割りばしを抜いた、搬送途中に1回おう吐とした等といった情報を聴き取った。またY医師は、Aの口の中を見たところ、傷口が小さく、止血していることを確認し、救急隊員の提示した傷病者搬送通知書の傷病名欄に「軟口蓋裂傷」と記入し、その初診時程度別欄の「5(軽症・軽易で入院を要しないもの)」に印をし、署名をして救急隊員からの引き継ぎを終えた。Y医師はAの傷口に消毒及び炎症止めの薬を塗り、抗生剤と消炎鎮痛剤を処方して、Aを帰宅させた。

Aは翌11日午前6時までの間、特に大きな変化がなく、母Cの呼びかけに対して反応を示していたものの、午前7時30分にCが異常に気付いた時点では、唇が真っ青になった状態で全く反応しなくなった。Aは、午前7時44分に救急車が到着した時点で既に心肺停止状態にあり、直ちにO大学医学部付属病院救命救急センターに搬送され、救命のための措置が施されたが、午前9時2分、死亡した。

(裁判所の判断)

判決

第一審(東京地方裁判所平成18年3月28日判決)無罪
控訴審 無罪

医師に割りばしの刺入による頭蓋内損傷を疑い、その確認をする義務があったといえるか

裁判所は、患児Aの意識状態が明瞭でなく、数回のおう吐等がされているものの、明らかに異常なものとはいえず、本件の受傷機転及び創傷の部位からは、割りばしの刺入による頭蓋内損傷の蓋然性を想定するのは極めて困難であるし、当時、口腔内損傷に対する診察・治療に関しては、その診療指針や診療標準は確立しておらず、口腔内の刺創、裂創の救急治療の手順について、まず止血を行い、異物が創内にあれば除去が必要であるものの、止血されていれば、ほとんどの創では縫合の必要性はなく、そのままでも自然治癒するなどと書かれた専門書もあること指摘しました。加えて、D医科大学総合医療センターの救命救急センターにおいては、年間4万6000人の救急患者のうち口腔内を刺した人が年間30ないし40人くらいいるが、本件以前には1度もCT撮影をしていなかったものの、本件以降になって必要に応じて撮影するようになった、と一審で医師が供述している点も指摘しました。

以上のような事情からすると、当時の医療水準に照らした場合、Y医師に対し、第1次・第2次救急の耳鼻咽喉科の当直医として患児Aを初めて診察した段階で、直ちに頭蓋内損傷を疑ってCT検査やMRI検査をするべき注意義務がある、とするのは困難というほかない、としてY医師の注意義務違反を否定しました。

結果回避可能性ないし医師の不作為と患児の死亡との因果関係が認められるか

仮にY医師において頭蓋内損傷を確認する方法として、(1)上咽頭部をファイバースコープで観察し、又は、(2)CTスキャンで撮影するなどして、頭蓋内損傷を確認する行為をしていた場合に、患児Aの救命あるいは延命が合理的な疑いを超える程度に確実であったということができるかについて、裁判所は以下のように判断しました。

まず、患児Aの死因については、割りばしの刺入による左小脳実質の直接損傷(浮腫)と後頭蓋窩の血腫が頭蓋内圧を亢進させて、小脳扁桃ヘルニア、上行性テント切痕ヘルニアを引き起こし、脳幹を圧迫して患児を死亡させたのか、それとも、左頸静脈の損傷で、血栓が形成され、静脈が完全に閉塞することによって静脈還流障害が生じ、脳浮腫、脳腫脹を発生させて死亡させたのか、を特定することができないと判示しました。

そして、左静脈洞が優位であったために静脈還流障害が生じ、これが死因に直接的に影響していたとしても、患児Aを救命あるいは延命するための手術に成功する可能性は極めて少ないと考えられることから、患児Aの救命はもちろん延命も合理的な疑いを超える程度に確実であったということはできない、としました。

また、他の死因による場合であっても患児Aの救命ないし延命のためには、患児Aの頭蓋内で発生している症状等を正しく把握し、それに応じた適切な処置をしなければならないが、その道程は単純ではないとして以下のような検討をしました。

(1)上咽頭部をファイバースコープで観察していた場合

本件において、ファイバースコープを用いて上咽頭腔を観察すると、割りばしは、上咽頭腔を経由することなく、軟口蓋から側面の筋層(副咽頭間隙)を経て頸静脈孔に至っているのであるから、割りばしは軟口蓋から上咽頭腔へ貫通した兆候はない、という事実が判明することになる、と指摘しました。そして、検察権の請求証人である耳鼻咽喉科教授も、検察官の設定事実を前提にした上で、自分であれば、ファイバースコープで検査を行い、軟口蓋から咽頭腔へ割りばしが貫通していなければ、経過を見るであろうと述べていることも踏まえ、そうなると、この場合も、結局、翌朝に症状が急変するまで割りばしの刺入による頭蓋内損傷に気付かず、患児Aの救命はもちろん、延命もできなかった可能性が十分にある、と判断しました。

(2)CTスキャンで撮影するなどして、頭蓋内損傷を確認していた場合

CT検査を行った場合であっても、割りばしそれ自体をCTで読み取ることはできず、軟口蓋に刺さった割りばしが頸静脈孔を通って頭蓋内に刺入する経路があり得るという点については、本件以前にそのような事例がなく、そのような可能性があることさえ知られていなかったのであるから、割りばしが頸静脈孔を通って頭蓋内損傷を生じさせた、という診断に至るまでに、かなりの検討を要すると考えられるとしました。その診断に至ったとしても、その後に手術を行う前提としては、割りばしが脳内に残っているのかどうかを判断する必要があり、そのためには、MRI検査をしなければならないことになるが、当時、MRI検査はかなり特殊で、MRI検査をするべき緊急の必要性があってもそれに対応することができる態勢を取っていた病院は非常に少なく、O大学医学部附属病院においても救命センター自体にはMRIがなかったこと、救急隊員から割りばしは抜かれているという情報が伝えられていたことなどからすると、直ちにMRI検査の特別の要請を行わず、差し当たり、CT検査の状態や意識状態の変化を見ながら、減圧手術の時期等を検討するという選択をしたとしても、直ちに不相当であるとはいい難いとしました。

よって、これらの事情からすれば、CT検査をしていたとしても、患児Aの救命はもちろん、延命も合理的な疑いを超える程度に確実に可能であったということはできないというほかない、と判断しました。

以上より、Y医師には業務上過失致死罪は成立しないとして検察官の控訴を棄却しました。

カテゴリ: 2010年11月 4日
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