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No.68「医師が末期患者に薬物を注射して患者が死亡。医師による積極的安楽死として許される要件を満たしていないとして、医師に殺人罪を適用。懲役2年、執行猶予2年に処した判決」

横浜地方裁判所 平成7年3月28日判決(判例時報1530号28頁)

(争点)

  1. 安楽死の要件
  2. 本件医師の具体的行為の評価
  3. 量刑の理由

(事案)

A医師(昭和59年医師免許取得)は、T大学医学部助手として、同大学医学部内科学四教室に所属していた。出向を終えた平成3年4月1日付けで、T大学附属病院での勤務を再開し、既に主治医であったN医師、G医師とともに、患者V(昭和8年生まれの男性・多発性骨髄腫の末期状態で以前より入院中)を担当することとなった。

その後、G医師がVの家族との応対に困惑するようになったことなどから、4月11日以降はA医師が前面に出て治療と家族への応対に当たることとなった。

4月13日、Vの妻と長男は、付き添いにあたるなかで、Vがまもなく死亡するのであれば、Vが嫌がっている点滴やフォーリーカテーテルなどを全て外して治療を中止し、自然に楽に死亡させてやりたいとA医師に強く要求し、A医師の説得に応じなかったので、A医師はやむなく看護師らに治療の全面的中止を指示し、昼頃フォーリーカテーテルや点滴が外された。午後3時ころのVは、口にエアウェイが付けられ、心電図モニターの発信器が取り付けられており、意識レベルを試すと、疼痛刺激に対して反応がなく、意識もなく、意識レベル6と判断され、いびきをかくような深い呼吸をし、脈拍は頻脈であり、A医師は、Vは今日か明日の命ではないかと考えた。

患者に付き添っていた長男は、その後もVが荒い苦しそうな呼吸をしているため、苦しみをなくして静かに眠るように死亡させてやりたいと考えた。そして、午後5時30分頃、長男はエアウェイを外すようA医師に頼み、A医師はエアウェイを外すと呼吸ができなくなるおそれがあると説明したが、なおも長男が頼んだため、A医師は午後5時45分頃Vからエアウェイを外した。

長男はVに付き添って見守っていたが、依然としてVの苦しそうな呼吸が続くことから、午後6時過ぎ頃、A医師に対し、「いびきを聞いているのがつらい、苦しそうで見ているのがつらい。楽にしてやって下さい。早く家に連れて帰りたいのです」と強く言い張り、A医師の説得を一向に聞こうとしなかった。そのためA医師は、午後6時15分ころ、鎮静剤で呼吸抑制の副作用があるホリゾンを、通常の2倍の量で注射した。

その後1時間近く経過しても、Vが相変わらずいびきをかくような苦しそうな呼吸をしているため、長男はA医師に対して強い口調で「いびきが止まらない、早く家に連れて帰りたい」と言い、A医師の説得を聞き入れなかったため、A医師は、午後7時ころ、呼吸抑制の副作用のある抗精神病薬であるセレネースを、通常の2倍の量で注射した。

セレネース注射後1時間たってもVが相変わらずいびきをかくような荒い苦しそうな呼吸をしていることから、長男は、A医師に対して激しい調子で「先生は何をやっているんですか。まだ息をしているじゃないですが。早く父を家に連れて帰りたい。どうしても今日中に家に連れて帰りたい。何とかして下さい」と迫った。

そのため、A医師は、午後8時35分ころ、徐脈、一過性心停止などの副作用のある不整脈治療剤である塩酸ベラパミル製剤(ワソラン)を、通常の2倍の使用量をVに注射し、続いて、心臓伝導障害の副作用があり、希釈しないで使用すれば心停止を引き起こす作用のある塩化カリウム製剤(KCL)を希釈することなくVに注射し、心電図モニターで心停止するのを確認した。Vは、午後8時46分ころ急性高カリウム血症に基づく心停止で死亡した。

(裁判所の判断)

安楽死の要件

裁判所は、「確立された不変のものとして安楽死の一般的許容要件を示すことは困難」であるが、「今日の段階において安楽死が許容されるための要件を考察する」としたうえで、

「本件で起訴の対象となっているような医師による末期患者に対する致死行為が積極的安楽死として許容されるための要件をまとめてみると、1:患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、2:患者は死が避けられず、その死期が迫っていること、3:患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと、4:生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること、ということになる」と判示しました。

本件医師の具体的行為の評価

裁判所は、A医師が行った「ワソラン及びKCLの注射については、・・・右注射を行った時点では、そもそも患者は意識を失い疼痛反応もなく何ら肉体的苦痛を覚える状態にはなかったのであるから、安楽死の前提となる除去・緩和されるべき肉体的苦痛は存在しなかったのである。」と判示し、A医師の行為は、積極的安楽死としての許容要件を満たすものではなかったと認定しました。

量刑の理由

裁判所は、A医師の行為は、「余命わずかとはいえ患者の生命を違法に絶ったものであり、基本的には生命の保護の法益を侵したものとして刑事責任を負わなければならない」と判示した上で、その責任非難の程度を判断するについては、A医師の行為が「末期医療に従事する者のその現場における行為として行われているので、その観点からの検討を加える」として、次のような点の検討がなされました。

A医師に不利な観点からは、末期医療においては消えゆく命の軽視が行われはしないかとの不安を一般国民に与えかねない、患者の意思はないがしろにされ、家族の都合で患者の生命は左右されるとの批判がなされるといった末期医療に対する不信と不安を招きかねないとの指摘がなされました。

他方、A医師に有利な観点から酌量すべき事情として、A医師が勤務していた病院において、「末期患者やその家族に対するいわゆるケアのための体制は十分整えられていなかった」こと、「治療体制であるチーム医療に間隙が生じて十分機能せず一人の担当医に重荷が負わされるような事情が存した」点や、A医師が「本件行為に出るについては家族の懇願と強い要請があったのであり、・・・家族の意思が・・・末期医療の現場において大きな影響をもつ現実を考慮すると、それが医師の行為に適法性を付与するまでに至らない場合であっても、医師の行為の動機等として情状として考慮されてよい」との指摘、A医師は「末期医療殊に末期患者や家族へのケアについての十分な知識と経験があったわけではなく、治療行為の中止や早く息を引き取らせてくれとの要求に初めて出会って戸惑い、その心情を酌み取ろうとして迷い苦悩は深まり、家族の要請を拒み切れない心境になって本件行為に及んだ」ことなどを指摘しました。

さらに、A医師が「本件を原因に大学を懲戒解雇となり、以後自らも医師として活動することを慎んで本件について熟思し、被告人としての立場に相当期間置かれるなど相当な社会的制裁を受けているといえること、患者の家族においてもA医師に何ら悪感情を抱くことなく、刑事処分も望まない意思を有していることなど」を酌むべき事情として挙げ、懲役3年の求刑に対して、懲役2年、執行猶予2年の量刑としました。

カテゴリ: 2006年4月14日
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