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No.143「医師から癌の告知を受けた患者が、適切な治療を拒否し、その後に死亡。医師にはさらに患者の家族に対してまで癌の告知をする義務はないとした地裁判決」

名古屋地裁平成19年6月14日 判例タイムズ1266号271頁

(争点)

  1. Aに対する癌の告知及び治療法等の説明義務違反はあったか
  2. 近親者に対する告知義務違反はあったか

(事案)

A(大正15年生まれの男性)は、平成10年9月11日、頻尿や腰痛を訴え、Y医師が開設・運営するYクリニックを受診した。Y医師は、同日、Aの血液検査をしたところ、前立腺特異抗原(以下、PSA)の数値が386.0ng/mlであり、この時点で、Aは前立腺癌に罹患していた。Y医師は、前立腺肥大症に適応のあるハルナールやプロスタールL錠を投与した。

同年10月2日、11月27日及び30日、12月16日に、Y医師はAに対して、PSA値や直腸診等から、Aの前立腺癌が進行性のものであり予後が良くないこと、生検等の更なる検査及び専門医による検査及び治療を受けるべきであること等を説明し、さらに、治療方法として内分泌療法(進行した前立腺癌に対しては絶対的適応とされている)があること、その際に使用されるプロスタール錠25などの薬剤については勃起障害などの副作用が見られることを説明し、本来であれば更なる検査及び治療のために泌尿器科専門医のいる総合病院への転院すべきことを説明し、複数回にわたり、病状を説明し、検査及び治療のために泌尿器科専門医のいる総合病院への転院を勧めた。

しかし、Aは、治療薬の副作用である勃起障害を避けたいとして、転院及び本来の治療法の実施を拒否した。

平成13年6月19日、Aは、Yクリニックに入院し、同年7月6日、N記念病院泌尿器科(以下、N病院)へ転院した。

N病院では、カソデックスとリュープリンが併用され、N病院の医師は、Aを進行性の前立腺癌及び骨転移と診断し、前立腺癌に対する手術は行わなかった。

Aは、同年8月18日、再びYクリニックに転院し、入院治療を続けていたが、同年9月19日に死亡した。

Aの遺族である子供3人は、Y医師に対し、債務不履行に基づく損害賠償を請求して、訴えを提起した。

(損害賠償請求額)

患者の遺族(子供3人)の請求額:3人合計990万円
(内訳:患者Aの慰謝料900万円+弁護士費用90万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:なし

(裁判所の判断)

Aに対する癌の告知及び治療法等の説明義務違反はあったか

この点につき、裁判所は、医師は、患者との診療契約に基づき患者の疾患を治療するに当たり、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の治療の内容、治療に付随する危険性、他に選択可能な治療法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があると解される、としました。そして、癌の告知においては、告知を受けた患者に対する肉体的・精神的影響を考慮し、告知しなかったからといって説明義務違反とはならない場合もあり得るが、告知する以上は、治療に対する患者の自己決定権の見地から、治療法等上記の点について十分説明すべきである、としました。

その上で、本件においては、Y医師がAに対し、前立腺癌であることを告知したことが認められ、検査結果、治療法、予後等の説明についても不適切であったということはできないのであって、Y医師に過失があったということはできない、と判示しました。

また、Yクリニックでの治療の開始時(平成10年ころ)において、Aに認知症の症状が見られたり、癌の進行による不穏状態にあったと認めるに足りる証拠はないとして、Aは前立腺癌及びその治療法を理解していたとも判示しました。

なお、N病院のカルテには、AがY医師より前立腺癌であることを聞いていなかったとの記載があり、Aの遺族は、AはY医師より癌の告知を受けていないと主張しましたが、裁判所は、Yクリニックの診療録には告知し、更なる検査及び転院を勧めたもののAが検査や治療を拒否したとの記載が複数箇所に見られること、説明の前提となる血液検査などが実際に実施されていること、YクリニックやN病院に入院していたころのAは病状がかなり悪化しており、点滴を自己抜去するなど不穏状態にあり、認知症と考えられる症状が現れていたと認められることなどから、N病院入院時のAは、認知症又は前立腺癌の進行による不穏などにより記憶力・理解力が減退していた可能性も否定できない、として、遺族の主張を退けました。

近親者に対する告知義務違反はあったか

この点につき、裁判所は、まず、どのような治療を受けるかを決定するのは患者本人であり、医師が患者に対し治療法等の説明をしなければならないとされているのも、治療法の選択をする前提として患者が自己の病状等を理解する必要があるからだと判示しました。

そして、医師が患者本人に対する説明義務を果たし、その結果、患者が自己に対する治療法を選択したのであれば、医師はその選択を尊重すべきであり、かつそれに従って治療を行えば医師としての法的義務を果たしたといえ、このことは、仮にその治療法が疾患に対する最適な方法ではないとしても、変わりはないと判断しました。

従って、医師は、患者本人に対し適切な説明をしたのであれば、さらに近親者へ告知する必要はないし、医師が患者の家族に対して癌を告知したことにより、家族らが患者を説得した結果、患者の気持ちが変わることがないとはいえないとしても、そのことから直ちに家族に対して癌を告知すべき法的な義務が生じるとまではいえない、と判示しました。

従って、近親者に対して告知をしなかったからといって、Y医師に法的な義務違反はないと判断し、遺族の請求を棄却しました。

カテゴリ: 2009年5月 8日
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