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No.233「羊水塞栓症により、分娩後に産婦が死亡。医師の輸血措置等の遅れと死亡との因果関係は否定したが、産婦の『適切な治療を受ける権利』を侵害したとして、病院側に遺族への慰謝料の支払いを命じた地裁判決」

大阪地裁 平成8年11月20日判決 判例タイムズ947号253頁

(争点)

  1. 医師に輸液の実施について過失はあったか
  2. 医師に輸血指示の時期について過失はあったか
  3. 因果関係の有無

(事案)

A(死亡当時38歳の初産婦)は、平成2年2月8日午前5時30分ごろ陣痛が生じたので、午前5時45分ころ、分娩のため、Y1社会福祉法人が経営するY病院に入院し、Y2医師がその分娩を主治医として担当した。

Aは午前8時25分ころ、分娩室に入室したが、軟産道が強靱で、陣痛は微弱であった。 午前11時、同11時30分、午後1時に少量の出血があった。

Y2医師は、午後2時34分、Aの人工破膜を指示し、Aは破水したが、その際少量の出血があった。

午後4時26分、Y2医師の応援に入ったB医師により吸引分娩が施行され、Aは胎児(X2)を娩出した。

Aは分娩後も、出血が継続した。

Y2医師は、Aに対し、午後4時36分、輸液にアドナ(止血剤)を加え、また、午後4時38分、メテルギン(子宮収縮剤)を静脈注射し、子宮底マッサージを行い、アイスノンを貼用した。

ところが、子宮底マッサージによってもAの胎盤が排出されず、出血量が多くなってきたため、Y1医師は、エホチール(昇圧剤)注射をした後、午後4時55分、Aの胎盤を用手剥離させた。

分娩時から午後4時55分までのAの出血量は約500ミリリットルで、午後4時55分から午後5時15分までのAの出血量は少なくとも300ミリリットルであった。なお、Aは午後5時38分までに更に700ミリリットル出血した。

Aは、午後5時15分ころ、意識はあったものの、顔色は不良で、嘔気があり、「しんどい」と訴えており、血圧は収縮期40と著しく低下し、脈拍は午後5時17分に毎分120回、午後5時25分に毎分150回と頻脈の症状を呈し、このころ重篤なショック症状に陥った。

Y2医師は、Aに対し、午後5時15分ころ、用手気道確保をしたうえ、酸素マスクを装着させ、毎分5リットルの酸素吸入を開始し、血圧モニターを装着した。また、ブドウ糖液500ミリリットルの点滴を開始した。

Aの子宮口から僅かずつ凝固性のない出血が継続し、また、子宮は非常に柔らかく弛緩していた。Y2医師は、この出血を弛緩性出血と判断し、出血を止めるため子宮底のマッサージや冷罨法(子宮底を冷やす方法)を実施するとともにB医師の応援を依頼した。Y2医師は、さらに輸血用血液を用意するように指示した。

Y病院では、当日自宅待機当番の臨床検査技師を病院内に待機させており、午後5時15分に交差適合試験用に採血したうえ、病棟付きの看護師が薬局に輸血用血液を手配した。交差適合試験の前処理であるAの血液の遠心分離が困難だったため、交差適合試験は、輸血の開始された午後6時25分の直前にようやく終了した。

この間、Y2医師及びB医師は、エホチールの点滴、子宮双手圧迫法や大動脈圧迫法を実施し、既に通常の方法で縫合してある膣壁裂傷と会陰切開部位にさらに細かい縫合を追加した。そしてホルムガーゼを膣腔内に強圧タンポナーデとして挿入するなどした。B医師は、午後5時55分、輸液をブドウ糖からヘスパンダー(血漿製剤)に切り替えて投与した。 午後6時25分になってY2医師らはAに対し、輸血を開始した。

その後もAの意識は回復せず、Y病院において、平成2年2月15日、脳死の疑いがもたれ、同月16日午前11時に脳死と判定されて、同月17日午後4時15分ころには心臓が停止して死亡した。

そこで、Aの夫X1及び子X2がY1及びY2に対し損害賠償を求め訴えを提起した。

(損害賠償請求額)

原告の請求額:遺族(夫及び子1名)計7969万2626円
(内訳:逸失利益3269万2627円+慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料2000万円+弁護士費用700万円、遺族複数のため1円未満切り捨て)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:遺族(夫及び子1名)計230万円
(内訳:遺族固有の慰謝料200万円+弁護士費用30万円)

(裁判所の判断)

医師に輸液の実施について過失はあったか

裁判所は、まず、輸液の量と種類について、鑑定などに基づき、次の通り判示しました。  「出血性ショックやアナフィラキシーショックなどのショックの際の緊急輸液には、一般に乳酸加リンゲル液の投与により電解質を補充することを要するとされている。

そして、分娩時の異常出血とは、分娩時又は分娩後2時間以内の出血量が500ミリリットル以上の場合をいい、この場合、一般に分娩時には5パーセントのブドウ糖液などで点滴により血管を確保しておく必要があるが、出血の予兆が認められた場合には、乳酸加リンゲル→低分子デキストラン→血漿製剤→輸血へと遅滞なく切り替えることが必要である(ただし、輸血措置が間に合えば途中を省略してもよい。)とされている。この措置を遅らせるとDIC(播種性血管内血液凝固症候群)や失血死をもたらす危険があり、日本母性保護産婦人科医会では分娩時出血量が1000ミリリットルに達しようとするころには、輸血が即時に実施できるように準備して適切に輸血を行うことが望ましいとされている。」

その上で、裁判所は、Aは午後5時15分までに800ミリリットルを出血し、分娩時の異常出血の状態にあり、その後のY2医師らが各種の止血措置を講じたにもかかわらず、午後5時38分までにさらに700ミリリットルと出血が急増し、遅くとも午後5時30分には出血量1000ミリリットルを超えていたと認定しました。

そして、Y2医師らとしては、この時点で早急に輸血を開始すべきであり、仮に、直ちに輸血が開始できないときは、輸液を乳酸加リンゲル等に切り換え、その量も出血量に見合った量に補充すべき義務があったと判示しました。しかし、Y2医師らは、Aに対し、午後5時15分から午後5時55分までの間、5パーセントのブドウ糖液500ミリリットルを投与したのみで、午後5時55分に至ってようやくヘスパンダー(血漿製剤)500ミリリットルを投与しているのであるから、乳酸加リンゲル等への切り換えが遅れ、また、出血量に見合った輸液の補充がなされておらず、Y2医師らには上記注意義務(輸液の補充義務)を尽くさなかった過失があると判断しました。

医師に輸血指示の時期について過失はあったか

裁判所は、まず、Aは、午後5時15分には重篤なショック状態に陥り、止血の措置が講じられたにもかかわらず、出血は持続し、午後5時30分には少なくとも1000ミリリットルを超える状態となり、止血措置も功を奏さず、なお、出血が増大する傾向にあったから、Y医師は遅くとも右時点でAに対し、輸血を行うべき必要があった、と認定しました。

そして、輸血を実施するに当たっては異型輸血等の事故防止のために、事前に交差適合試験を実施することが必要であり、右交差試験に要する時間は40分ないし50分であり、薬局における輸血用血液の準備、交差適合試験の準備などを考慮すると、実際に輸血が開始されるまでには、1時間程度の時間を要する。したがって、血液の手配は、右準備時間を考慮してなされる必要があると判示しました。

その上で、本件Aについては、高年初産婦であり、少量ではあるが、分娩までに5回の出血をみている。娩出後、Aは出血し、出血量は午後4時55分の時点で、分娩時の異常出血の目安とされる500ミリリットル(300ミリリットルを超えると異常出血とする考えもある。)に達し、なお、出血が持続していたこと、輸血の準備に1時間程度を要することからすれば、Y2医師は、遅くとも午後4時55分の段階では、Aの症状の変化に対応して適切に輸血がなされるように準備すべき義務があったと認めるのが相当であると判示し、Y2医師が輸血用血液を手配したのは午後5時15分ころであり、血液の手配が遅れた点に過失を認めました。

因果関係の有無

裁判所は、Aの死因について、剖検がなされておらず、羊水塞栓症自体希有な症例であり、必ずしも十分に解明されていないこともあって、病理学的には断定できないものの、本件経過を最も合理的に説明しうるのはZ医師の鑑定及び証言であるとして、Aが羊水塞栓症に陥ったものとするZ医師の意見を採用して、Aは羊水塞栓症に罹患していたと認定しました。

その上で、裁判所は、羊水塞栓症が生じるとその80パーセントは死亡するとされており、Aの死因について複合的な要因があるとしても、基礎疾患である羊水塞栓症を治療できなければ救命できないと判示しました。そして、この状況のもとでは、たとえ、Y2医師らが十分な治療をしていたとしても、Aの死を回避することは困難といわざるをえないと判断し、Y2医師らの過失行為とAの死亡との間の相当因果関係を認めませんでした。  しかし、裁判所は、Y2医師らの治療行為は、分娩後の異常出血、羊水塞栓により緊急事態に陥ることが予想しえたAに対するものとしては杜撰なものであったといわざるを得ないと判示しました。そして、Aの死因の中心的地位を占める羊水塞栓については、予後は極めて不良であり、適切な治療を受けたとしても延命可能性は低いと言わざるをえないが、それでも絶無とまではいえず、Aの症状が重大なものであったことも考慮すると、Y2医師らの過失は看過することはできず、Aの適切な治療を受ける権利を侵害したと認定しました。そしてこれによりAが陥った精神的損害に対する慰謝料として200万円を相当と判断しました。

以上から、裁判所は上記「裁判所の認容額」の範囲で、Xらの請求を認めました。その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2013年2月 1日
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