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No.154「分娩後患者が子宮頸管裂傷による出血性ショックで死亡。産婦人科医が、分娩介助に当たって、子宮頸管裂傷を見落とし、かつ高次の医療機関への転送義務を怠ったなどとして業務上過失致死罪で起訴された事案。いずれの過失も否定し無罪を言い渡した地裁判決」

名古屋地裁平成19年2月27日判決 判例タイムズ1296号308頁

(争点)

  1. 子宮頸管裂傷を見落とした過失の有無
  2. 輸液措置及び輸血の手配を怠った有無
  3. 高次の病院に転院させなかった過失の有無

(事案)

A(本件当時31歳の健康な女性)は、平成12年1月17日、B産婦人科眼科で妊娠と診断され、その後も、初めての出産に備えて定期的に診察を受けていた。

Aは、同年8月30日夜に自宅で破水したため、翌日31日午前10時ころ、B産婦人科眼科でY医師(産婦人科医)の診察を受けた。その結果、Y医師から、前期破水を起こしているので羊水中に細菌が混入して胎児が罹患するのを防ぐ必要があることなどを理由に、陣痛誘発剤を使用して同日中に出産した方が良いとの説明を受け、これを了承して入院した。

Y医師は、陣痛を誘発して分娩を早めるための陣痛誘発剤及び胎児の通過する子宮頸管に裂傷を生じさせないように開大させるための熟化剤を投与するなどし、分娩の促進を図って自然分娩によろうとしたものの、胎児の心拍数に異常が認められ仮死状態にあることが危惧されたことから、急速遂娩法である子宮底を圧迫して分娩を早めるクリステレル法及び胎児の頭部に吸引キャップを装着して吸引する吸引分娩法により、同日午後3時26分ころ、男児を娩出させた。  分娩直後、Aの身体状況には特に異常が認められなかったが、胎盤受けには約300ミリリットルの血液が溜まっており、また、ホスピタルマットには羊水と混じった血液が780グラム染みこんでいた。Y医師はそれを視認したものの分量を確認しなかった。

午後4時ころからは輸液(ラクテック)と子宮収縮剤(パルタン)を混合した毎分30滴の点滴に交換され、出産から約1時間経過後の午後4時30分ころ、Aは病室に戻った。同時刻のナプキン交換時に40グラムの新たな出血が確認されたが、その血液の色は黒っぽい色であった。

その後、午後5時20分ころ、Aの出血が再度確認され、めまいの訴えもあり、脈拍、血圧が上昇していた。この結果は、Y医師に報告されたが、午後5時45分ころ、再々度の出血が認められるとともに、血圧、脈拍共に更に上昇していた。

午後6時ころに再々度の出血の報告を受けたY医師は、助産師に対し、子宮収縮剤(パルタン)の筋肉注射を指示するとともに、診察するためAを分娩室に移動させるように指示し、Y医師も自宅から分娩室に赴いた。

午後6時8分ころ、Aは分娩室に到着し、そのころからY医師による診察が開始されたが、午後6時9分の時点で、血圧、脈拍が更に上昇したため、Y医師の指示で、子宮収縮剤(パルタン)が点滴の側管から注入された。

午後6時16分ころ、Y医師は、点滴を二股にして、一方から輸液(ラクテック)を全開で、もう一方から輸液(ラクテック)と子宮収縮剤(パルタン)の混合液を毎分30滴で実施した。Y医師は、この時点でも出血部位や出血原因を特定することはできなかった。

この後も、Y医師は昇圧剤(エフェドリン)の注入、子宮収縮剤の注射、輸液などの措置を行い、午後7時5分ころには酸素投与、午後7時15分ころには輸血用血液の手配がなされたが、依然としてAの出血は続いていた。

午後7時35分ころ、Aは意識不明に陥った。午後7時53分ころにはショックによる心停止が発生し、気管内に挿管がされ、心臓マッサージが開始された。Y医師は、C市立大学病院への応援要請を指示した。午後8時10分ころに手配中の輸血用血液が到着し、午後8時15分ころから輸血が開始された。午後8時17分ころ、応援の麻酔科医師2名が到着してAに対する蘇生措置に当たることになった。このころ、Aには著明なチアノーゼが認められた。午後8時42分ころ、Aの腹部に膨満がみられるようになり、午後9時には肺水腫が生じた。また、このころ輸血が追加された。

午後9時18分ころ、更に応援の麻酔科医師1名が到着し、蘇生措置が続けられたものの、午後10時10分にAの死亡が確認された。

その後、検察官は、上記争点記載の過失によってAは死亡したとして、Y医師を業務上過失致死罪で起訴した。

(裁判所の判断)

子宮頸管裂傷を見落とした過失の有無

この点についてY医師の弁護人は、そもそもAには出血性ショックの原因となるような子宮頸管裂傷は生じていないからY医師がこれを見落とした過失はないと主張しました。

裁判所は、鑑定依頼に基づいてC医師(法医学の専門医)が作成した鑑定書及び同医師の公判供述によれば、Aの死因は出血性ショックであり、Aの子宮には3時から9時方向に裂傷があったとされているが、Y医師は、併用により子宮頸管裂傷を誘発しやすい陣痛促進剤を投与するとともに、子宮頸管に人為的に拡張作用をもたらすクリステレル法や吸引分娩法を用いているため、C医師の鑑定結果には一応の信用性が認められる、としました。しかし、
(1)証人D(応援要請に応じてAの救命措置を行った医師の一人)は、司法解剖に立ち会いC医師から裂傷の場所を指示されたが、よく分からなかった旨を供述していること
(2)証人E(大学の産婦人科教授、医師)は、C医師からAの解剖写真、子宮のホルマリン標本を示されて意見を求められた際に、裂傷の存在について確認できなかった旨を供述していること
(3)証人F、G(いずれも産婦人科医)は、解剖写真を見てもどこが裂傷か判別できず、あるとしてもFは0時から1時、Gは1時から2時のところと、いずれもC医師とは異なる意見を述べていること
(4)Y医師は、Aに異常出血があった際に視診・触診等により診察をしたが、裂傷は見つからなかった旨を供述していること
(5)本件では、頸管裂傷に特徴的な出産直後からの持続的な鮮紅色の出血がなかったこと
から、裁判所は、Aの子宮頸管にAにおいてみられるような多量の出血を伴う裂傷が生じていたと認めるには合理的な疑いがある、として、そのような裂傷の存在を前提とするY医師の過失を否定しました。

輸液措置を怠った過失及び輸血の手配を怠った有無

この点について裁判所は、Y医師は、午後4時ころから、継続的に輸液を行っており、Aの出血に対応して、午後6時16分ころからは輸液の速度を上げており、このY医師の輸液措置が不適切であったとはいえないし、仮に、Y医師が実際に行われた以上の輸液措置を実施し、午後6時9分に輸血の手配を行っていたとしても、結局、出血原因が不明であったことやB産婦人科眼科の人的・物的能力等(輸血用血液の備蓄はなく、産婦人科の医師はY医師及びY医師の父親の2人であるが、父親は当時80歳の高齢であったこと、麻酔科の専門医はいなかったことなど)に照らして、そのような輸液や輸血によって、確実にAの死亡の結果を回避することができたとは認められない、として、Y医師のこの点に関する過失を否定しました。

高次の病院に転院させなかった過失の有無

この点について裁判所は、まず、Y医師が転送義務を怠り、Aを死に至らしめたと認められるためには、Y医師がその時点で転送していれば、Aの死亡という結果を確実に回避できたことが合理的な疑いを入れる余地のない程度に証明される必要がある、と判示しました。

そして、午後6時8分ころからの診察によっても出血原因は分からない状態であり、午後6時16分の時点において、Y医師は、Aが出血性ショック状態に陥っていることを認識していたところ、B産婦人科眼科には、このようなAのショック状態に対応して、その全身状態を管理しつつ出血原因を特定して止血するための十分な人的・物的能力が整っていないことをY医師は認識していたのであるから、Y医師としては、この午後6時16分の時点で、Aの救命のために、速やかにショック状態への対応が可能な高次医療機関へAを転送する決断をすることができる状況にあった、としました。

その上で、午後6時16分の時点で転送の手続をした場合のAの救命可能性について、証人Dは、Aは90%以上の確率で生存できたと供述しており、Dは実際にAの蘇生措置を行った者であって、麻酔科医として救命救急の分野も専門にしている医師として、自らの多数の救命救急の臨床経験に基づいて供述していることからすれば、その供述には相当の信用性が認められる、としながらも、
(1)Aの全身状態は、午後5時20分ころから5時45分ころの間の出血により急激に悪化し、午後5時45分ころにはショック状態になってから既に30分が経過していて、午後6時15分に計測された血圧や脈拍からすれば、そのショック状態は重篤なものであったこと
(2)周産期の妊婦の身体は特殊な状態にあり、分娩後出血による出血性ショックは、DIC(汎発性血管内血液凝固症候群)ショックを発症しやすい等の特殊性があるため、他の出血性ショックとは異なること
(3)証人Dの供述は、妊婦が分娩後出血によって出血性ショック状態にある場合の救命可能性に関する実証データに基づいているものではないこと
(4)Aの出血部位や出血原因は現段階でも特定できていないこと
を併せて考えると、証人Dの見解を全面的には採用できない、とし、結局、仮にY医師が午後6時16分の時点でAを高次医療機関に転送する手続をしていたとしても、Aを確実に救命できたと認めるには合理的な疑いが残り、したがって、Y医師に午後6時16分の時点でAを高次医療機関へ転送すべき刑法上の注意義務があったとは認められない、と判断しました。(注意義務がない以上は、これを前提とする過失も存在しないことになります。)

以上より、裁判所は、Y医師を無罪としました。

カテゴリ: 2009年11月 4日
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