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No.158「健康診断の採血時に患者の神経が損傷され、RSD又はカウザルギーが発症。患者の損害賠償請求を棄却した一審判決を破棄して、請求を認めた高裁判決」

仙台高裁秋田支部平成18年5月31日判決 判例タイムズ1260号309頁

(争点)

  1. 臨床審査技師の採血行為に過失はあったか
  2. 過失により患者にRSD又はカウザルギーが発症したか
  3. 損害(損害に関してXの個人的要因が寄与したか)

(事案)

X(昭和33年生まれの女性)は、昭和59年に県の教職員に任命され、県立N養護学校(以下、N学校)に勤務していた。N学校では、平成6年7月18日、教職員に対する定期健康診断が行われ、教育委員会の委託を受けたY財団法人(以下、Y法人)から、A(准看護師兼臨床検査技師。以下、A技師)及びBが派遣され、血液検査及び心電図検査を実施した。

この際、A技師は、Xの上腕部を駆血帯で縛って高さ7.8㎝の肘枕に乗せ、最も分かりやすい血管を手で触れて確認し、消毒した上、肘を伸ばした状態で、右肘内側にある右肘正中皮静脈(以下、本件静脈)に32㎜の注射針を刺入して採血を行った。しかし、採血中にXが痛みを訴えたため、検査に必要な血液量6㏄の半分の3㏄を採血するにとどめ、採血針を抜いて、採血を中止した(以下、本件採血)。この際、その場にいたC教諭はXの「痛い、やめてほしい。」との声を聞いてXの側に行った。Xの右前腕は、本件採血後、腫れているのが確認された。

Xは、本件採血による右肘等の痛みやしびれ等を訴え、検査から約1週間の同月26日、D整形外科医院で受診し、尺骨神経損傷との診断を受け、その後平成7年1月21日までD整形外科医院に通院して治療を受けたが、E総合病院に転院した。平成7年7月19日、Xの診療録の傷病名にRSD(反射性交感神経性ジストロフィー)が加えられ、同月22日以降に作成された診断書には病名の一つにRSDが記載された。平成9年8月から10月には、F病院で右尺骨神経損傷、RSDと診断され、10月16日には全身状態が悪く、脱水に近い状態になったため、F病院に入院し、平成10年1月8日、退院した。さらにG医療センターで、RSDとの診断を受け、投薬治療、リハビリテーション療法を受けていたが、検査から約10年後の平成16年12月3日に、同センターのH医師より、右上肢のRSDの症状固定との診断を受けた。

この間、Xは、平成6年12月1日に右尺骨神経損傷について公務上の災害の認定を、平成7年11月17日には右前腕内側皮神経損傷及びRSDについて公務上の災害の認定を受けた。

Xは、A技師の過失により、右肘の正中神経及び前腕内側皮神経を損傷され、RSD及びカウザルギーに罹患して、右腕、右手等に障害が生じたと主張して、A技師の使用者であるY法人に対し、不法行為に基づいて損害賠償請求訴訟を提起した。

第一審は、(1)Xが主張するA技師の採血の態様は、長年に渡り日常的に採血業務に従事してきた者の行為としては相当に不自然で、他にそれを裏付ける証拠がないこと、(2)医学的知見によれば、XがRSD又はカウザルギーに罹患していれば、以後11年を経た現在までの間にこれが治癒又は軽快しているか、さもなければ慢性期に特有の他覚症状を呈しているはずだが、Xにはこのような症状がみられず、交感神経ブロックの治療を受けていたとは認められないことなどから、XがRSD又はカウザルギーに罹患したとは認められない、としてXの請求を棄却した。Xは控訴。

(損害賠償請求額)

患者の請求額 :計8180万1178円
(内訳:治療費等549万9976円+逸失利益5169万8251円+給与等の損失分531万7511円+慰謝料1370万円+弁護士費用750万円の合計金額から控訴審で請求の一部を減縮している)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:3460万1259円
(内訳:4823万1597円(治療費計237万9058円+交通費69万8980円+逸失利益3113万6048円+給与等の損失計531万7511円+慰謝料計870万円)×0.7(患者側要因として3割減額)-231万0858円(損害填補分)+315万円(弁護士費用))

(裁判所の判断)

臨床検査技師の採血行為に過失はあったか

裁判所は、採血の際にXが痛みを訴えたため、A技師は必要量の半分しか採血できていなかったにもかかわらず採血を中止したのであって、この事実は、採血の目的等に照らしても、極めて異常な事態が生じたことを強く推認させる、と判示しました。

A技師は、駆血帯の縛りすぎによりXが痛みを訴えたため採血を中止したと反論しましたが、本件採血はXの勤務先が実施した定期健康診断の一環として行われたものであり、必要な検査資料の採取を業務内容とするA技師の立場からしても、格別の理由もないのに、Xからの採血のみが適量に達せず、これに基づく検査も十分行えないという事態は極力避けようとするはずであり、少なくとも「駆血帯の縛りすぎ」というような、いわば一過性の容易に改善可能な事情の存在だけで、その改善も、Xに対する再度の採血の働きかけ・説得も全くせずに、A技師が採血を中止し、B主任もこれに対し何ら指示を与えたり、相談したりすることがなかったというのは誠に不可解である、として主張を斥けました。

さらに、Y法人の担当者が採血の翌日にXの様子を確認するために、わざわざXの勤務先に電話をしていること、採血の場にいたC教諭がXの「痛い、やめてほしい。」という声を聞いてXの側に行ったと述べていることから、本件採血の際にXが訴えた痛みは、直ちに採血の中止を余儀なくさせるような極めて異常なものであったと推認できる、としました。

そして、採血と神経損傷との因果関係については、Xが採血の中止を余儀なくさせるような極めて異常な痛みを訴えたこと、本件採血と神経損傷の確認時期が時間的に近接していること、その間に正中神経を損傷する原因となるような別の事象が認められないこと、本件静脈、前腕内側皮神経、正中神経の解剖学的位置関係からすると、刺入された注射針が正中神経より先に前腕内側皮神経を損傷する事態は十分あり得ることなどから、Aの正中神経損傷の原因は本件採血であったと推認できる、としました。

そして、以上の採血の状況や採血の一般的技法、注意義務等にかんがみれば、A技師には、Y法人の業務として本件採血を行った際、格別やむを得ない特殊事情もないのに、注射針を静脈から逸脱させてXの上記各神経の損傷を招いた点に過失のあることが明らかである、としました。

過失により患者XにRSD又はカウザルギーが発症したか

この点について、裁判所は、第一審とは異なり、Xの本件採血後からD整形外科医院に受診するまでのXの陳述書の記載及び本人尋問の供述の主要部分を十分に信用できるとしました。

そして、本人の供述によれば、Xは、本件採血直後から、(1)その痛み、しびれが損傷された神経が支配する四肢の領域である本件採血部位から右上肢の肘、前腕、手首、手指に及んでおり、その痛み、しびれが持続していた、(2)右腕が風、日差しに当たったりするだけで痛みを感じた、(3)肘が熱く感じられたため肘を冷やしており、水泳教室の際に手を水に入れても水温が冷たくて痛いと感じることがなかった、(4)右上肢が腫れていた、(5)痛みのため右上肢を保護する姿勢を続けていたことが認められる、としました。

そして、これらの症状を医学的知見に照らせば、XはRSD又はカウザルギーを発症していたと推認できるとし、他の証拠に示された症状からも同様の推認ができるとしました。

以上より、A技師が、本件採血の際、Xの前腕内側皮神経及び正中神経を損傷し、これが原因となって、XはRSD又はカウザルギーを発症した、としました。

損害(損害に関してXの個人的要因が寄与したか)

この点について裁判所は、Xの症状の推移及び最近までの症状が非常に深刻な様相を呈していることと比べて、骨萎縮・筋萎縮の程度が軽微なものにとどまっており、臨床検査技師の過失によって起きる症状という点だけでこうした不均衡を完全には説明できない、とした上で、Xの症状の推移をみると、次第に上肢に関するものよりも腹痛、下痢等の身体状態の悪化が中心となり、これが長期間継続してきており、このことについても、痛みの持続・深化にXの心因的なものが関与していることが強くうたがわれる、としました。

そして、このようにXの個人的要因がその症状の悪化・長期化に影響を及ぼしたと認められるところ、損害の公平な分担という趣旨に照らせば、その損害の全部をYの責任とすることはかえって公平を欠くというべきであり、損害額のうち3割はXの個人的要因が寄与したものとしてXの損害から減額するのが相当である、としました。

以上から、裁判所は、上記「裁判所の認容額」の範囲で、Xの請求を認めました。

カテゴリ: 2010年1月 8日
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