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No.195「黄斑円孔に対する硝子体手術を受けた患者に脈絡膜出血が生じ、視力が低下。結果の予見可能性も出血と視力低下との相当因果関係もないとして医師の過失を否定し、患者の請求を全て棄却した地裁判決」

大阪地方裁判所 平成21年11月24日判決 判例タイムズ1316号210頁

(争点)

  1. 医師に手技上の過失はあったか
  2. 医師の過失と視力低下との間の因果関係

(事案)

X(昭和22年7月生まれの男性)は、平成18年1月26日、A病院で両眼裂孔原性網膜剥離と診断され、その後、同病院で、水晶体乳化吸引術、眼内レンズ挿入術、硝子体切除術、内部光凝固術、冷凍凝固網膜復位術、液空置換、SF6ガス注入術を内容とする手術及び、左眼に対する網膜レーザー光凝固術を受けた。しかし、その後、術後黄斑円孔が生じていることが判明したため、Xは、同年3月29日、Y医療法人の開設する眼科病院(以下、Y病院)でB医師の診察を受け、同日、Y病院に入院した。

Xは、同年4月3日、B医師の執刀により、左眼の黄斑円孔に対する治療として、経毛様体扁平部硝子体手術、内境界膜剥離、SF6ガス充填を内容とする手術(以下、本件手術)を受けた。

本件手術を開始してから数分後、B医師は、灌流針を入れたカニューレ(外套管)が左眼の外へ自然に脱落していることに気づき、通常通りの態様で再挿入した。そして、本件手術を再開するべくXの左眼底を見たところ、脈絡膜剥離が下方に急速に拡大していた。B医師は、当初、上記灌流針の再挿入時に、脈絡膜下に灌流針が迷入したのではないかと考え、この脈絡膜剥離を除去するべく、耳側及び下方の輪部から約5㎜のところで強膜を切開し、脈絡膜下液排除を試みたが、脈絡膜下液はほとんど出ず、下方後極の下側の液は排除することはできず、脈絡膜の隆起の高さもやや低くなったものの、隆起は相当残った。なお、この間にXは、左眼の痛みを訴えるようなことはなく、B医師が脈絡膜下液排除を試みたときには、血液は認められなかった。

B医師は、再度の脱落を防止するため、縫着型の20ゲージ灌流針を鼻側やや下方に挿入し、脈絡膜を貫通していることを確認の上、これを強膜に縫着して手術を続行したが、下方の脈絡膜剥離が黄斑部の上まで張り出しているため、黄斑部にアクセスすることができなかった。そこで、B医師は、SF6ガスを注入した上で強膜創を閉鎖し、本件手術を終えた。

翌4日、Xの左眼の硝子体及び前房中には、赤血球ないしヘモグロビンの浸出が認められ、眼底の上方5分の1ないし4分の1程度を除いて脈絡膜剥離ないし高度の隆起が認められた。また、同月5日には、Xの左眼硝子体中は赤色の液体で満たされており、剥離が全体に広がっていた。  Xは、同月6日、国立C病院に転院し、そこで左眼の裂孔原性網膜剥離(駆逐性出血)に対する治療としての経毛様体扁平部硝子体切除術を受けた。同年8月28日にC病院で行われた視力検査の結果は、右眼が矯正視力で1.5、左眼が矯正視力で0.1であった。

その後、Xは、B医師の過失によりXに損害が生じたと主張して、Y病院に対して損害賠償を求めて訴えを提起した。

なお、裁判所は、Xに生じた出血の原因及びその機序について、本件手術中に灌流針を入れたカニューレの自然脱落によって一時的に灌流液の眼内への流入が途絶える一方で、灌流針が貫通していた強膜の切開創から眼内液が漏出することによって、眼内圧が低下し、脈絡膜剥離が発生し、脈絡膜が隆起する現象が生じたものと考え、Xに生じた症状(脈絡膜剥離)については、鑑定を踏まえて、駆逐性出血ではなく、急性術中脈絡膜滲出症であった可能性が高いものと推認している。

(損害賠償請求額)

患者の請求額:計2068万3470円
(内訳:治療費25万2500円+入通院慰謝料70万円+入院雑費5万8500円+休業損害100万7000円+後遺障害慰謝料461万円+逸失利益1225万5470円+弁護士費用180万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:計0円

(裁判所の判断)

医師に手技上の過失はあったか

この点について裁判所は、硝子体手術中にカニューレに差し込んだ灌流針及びこれに結合したチューブが脱落する可能性はあるものの、本件手術の切開創は、23ゲージ(直径0.63㎜)の器具を挿入するための小さな切開創であり、斜めに切開されたいわゆる自己閉鎖創であったことからすれば、上記態様の切開創からカニューレに差し込んだ灌流針及びチューブが脱落した場合の眼圧の低下の程度は比較的小さいものであったと考えられると判示しました。

また、平成21年6月現在、灌流針の脱落により駆逐性出血(急性術中脈絡滲出症を含む)が生じたとする報告は全く発見できず、黄斑円孔あるいは黄斑部に限局した疾患の手術で駆逐性出血が生じたとする報告も全く発見できなかったことも認定しました。

その上で、裁判所は、Xに冷凍凝固術を含む網膜剥離の手術、硝子体手術の既往歴及び偽水晶体眼といった駆逐性出血の危険因子があったことを考慮しても、本件手術を実施するに際して、B医師が、本件手術中に灌流針が脱落し、眼圧が低下することにより本件脈絡膜出血が生じる危険があることを具体的に予見することは不可能であったと評価するのが相当であると判断しました。したがって、B医師には、本件手術に際して、灌流針の先端が硝子体腔内から脱落しないよう適正に固定すべき注意義務があったということはできず、同義務の存在を前提とするB医師の注意義務違反も認められない、と判示しました。

また、本件手術中に灌流針が脱落し、眼圧が低下することにより本件脈絡膜出血が生じる危険があることを具体的に予見することはできなかったことに加え、灌流針を装着したカニューレを強膜創に縫着しない術式で行われる硝子体手術は、カニューレを強膜創に縫着する術式に比べ、多くの利点を有することからすれば、B医師が縫着できる構造の灌流針ではなく縫着できない構造の灌流針を用い、カニューレを強膜創に縫着しない術式により本件手術を実施したことをもって過失と評価することもできない、と判示して、医師の過失を否定しました。

医師の過失と視力低下との間の因果関係

裁判所は、鑑定を踏まえて、本件手術後にXの左眼の矯正視力が0.1であったことは、黄斑円孔それ自体あるいは黄斑円孔に対する手術侵襲による視細胞の機能低下など、黄斑円孔及びこれに対する手術などが原因であり、本件手術中に生じた脈絡膜剥離が原因ではない可能性が高いものと考えられる、と判断しました。

したがって、本件脈絡膜出血とXの左眼の視力が矯正視力で0.1まで低下したこととの間には、直ちに相当因果関係を認めることはできないというべきである、と判示し、因果関係の存在を否定しました。

以上より、裁判所は、Xの請求を全て棄却しました。判決はその後、確定しました。

カテゴリ: 2011年7月 8日
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