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No.255「5年間、耳鼻咽喉科医院で慢性副鼻腔炎の治療を受けていた患者が、転医後、上顎癌と診断され、手術を受けたがその後死亡。耳鼻咽喉科医院を開設する医師に転医勧告義務を怠った過失を認め、遺族に対する損害賠償の支払いを命じた地裁判決」

仙台地方裁判所平成17年2月15日判決 判例タイムズ1237号294頁

(争点)

  1. 転医勧告義務の違反の有無
  2. 1の義務違反と損害との因果関係の有無
  3. 損害額

 

(事案)

患者A(昭和12年生まれの女性)は、平成元年12月2日、のどに異物感等の症状により、B病院の耳鼻科に赴き診察を受けたところ、慢性副鼻腔炎、喉頭異常感症と診断され、平成2年3月までの間計11回、B病院に通院して治療を受けた。

平成3年11月8日、「ふとんに入ると鼻汁が多く出たり、両側の鼻づまりが起こる。痰が切れない。のどに多量の鼻汁が流れる。」と訴えて、Y医師が開設するY耳鼻咽喉科医院(以下「Y医院」という。)を初めて受診した。

Y医師は診察の結果、両鼻腔に比較的濃い粘液性膿汁があること、両側の鼻の粘膜が蒼白でかなりの肥厚があること、咽頭に比較的強い発赤があることを認めるとともに、鼻のレントゲン検査で、上顎洞の左右に強い陰影を認めたため、急性咽頭炎を伴う両側慢性副鼻腔炎と診断の上、急性咽頭炎と副鼻腔炎に対する内服薬を処方した。

その後、Aは、平成8年11月22日までの間、合計40回通院し治療を受けた。

平成8年11月12日、Y医師がAを診察すると、Aの右中鼻道に鼻茸のように思える5ミリメートル以内の浮腫状で灰白色を呈するポリープ様腫瘤が認められ、綿棒による処置時に出血も認められた。Y医師は、その他の部位についても鼻咽腔内視鏡で検査したが、咽喉頭部の急性の炎症所見のほかに特に異常は認められなかった。Y医師は鼻のレントゲン検査で、上顎洞の左右に強い陰影を認めたが、両側慢性副鼻腔炎に急性咽喉頭炎を伴うものと診断し、抗生剤と副鼻腔炎に対する内服薬のほか精神安定剤を処方した。その傍、Y医師は、上記のとおり右鼻腔にポリープ様腫瘤を認めたので、Aにその旨説明すると共に、鼻のレントゲン写真の所見上上顎洞の改善がみられないことを説明して、大きな病院での検査を勧めたが、Aは、あまり行きたくない様子で返事がなかった。Y医師は、Aに対し、とにかく薬を服用してみて改善がみられない場合には、然るべき病院を紹介する旨説明した。

同月22日、Aは、Y医院を訪れ、Y医師に対し、「2、3日前より風邪症状が強い」と訴えた。Y医師が診察した結果、右鼻腔内ポリープ様腫瘤がまだ存在し、両側の鼓膜の陥凹は改善していたが、両側鼻腔の膿汁が比較的多く、咽喉頭粘膜に強い発赤と腫脹がみられた(なお、右鼻腔内ポリープ様腫瘤については、綿棒での処置時に出血はみられなかった。)ほか、咽頭の検査で、咽頭の発赤と充血が強く、軽度の肥厚と浮腫が認められた。Y医師は、抗生剤の点滴静注をするとともに抗生剤を処方した。

Y医師は、右鼻腔内に右鼻腔内にポリープ様腫瘤の改善がみられず、同月12日に説明したとおり、再度大きな病院での検査を勧めたが、AはこれまでどおりY医院で治療を受けたいと述べた。

同年12月ころには、Aに血性鼻汁、右頬部腫脹、右頬部疼痛等の症状が発現した。

Aの夫は、医学には全くの素人であったが、Aの鼻症状につき、長期間の治療にもかかわらず治癒しないばかりか、むしろ悪化する一方であったため、同月末ごろ、Y医師による慢性副鼻腔炎との診断に疑いを持ち、市販の家庭用医学書を調べたところ、Aの症状がまさに上顎癌特有の症状に符合することに気付き、直ちに、Aに対し、他の大きな病院に転医して診察を受けるよう勧めた。

Aは、平成9年1月6日、B病院を受診し、問診と鼻副鼻腔単純X線写真検査の結果、慢性副鼻腔炎と診断され、その他に異常所見なしと診断された。

同月13日、B病院において、Aは鼻のCT検査を受け、右上顎洞内の一箇所に高度陰影塊が見られた。主治医は、同年3月6日に右鼻内手術を予定した。

Aは、同月23日、B病院に通院し、右頬部の痛みが強いので早く手術をしてほしいと訴えた。同日、鼻腔内所見は異常なしとされた。Aは、同月27日、B病院に通院し、右頬部痛の増強を訴えた。主治医は、同日の同病院の診療録に腫瘍の疑いありと記載している。2月4日、AはB病院で骨シンチ検査を受けた。その結果により、B病院の放射線科医は、右上顎癌疑、侵襲性副鼻腔炎の可能性があると診断した。Aは同月10日、B病院でガリウム・シンチ検査を受け、右上顎癌の疑いが考えられるとされた。

その後、Aは同月14日、B病院に入院し、同月18日、全身麻酔下で、右上顎洞試験開洞術(右プロ-ペ鼻根)・生検手術、右浅側頭動脈カニュレーションを受けた。

手術所見で右上顎洞前壁、外側に骨欠損が認められ、上顎洞内に腫瘍が存在した。病理組織所見で右上顎洞内壁、前壁のいずれの標本にも扁平上皮癌(中ないし高分化型)の増殖がみとめられると診断された。

Aは、同年5月20日、B病院において、右上顎亜全摘出手術を受けた。

Aは、眼の周辺に癌が転移したことが判明したため、同年7月25日、C大学医学部附属病院(以下、C大学病院という)に転院し、同年8月27日、C大学病院において開頭手術を受けた。

Aは、同年11月11日、B病院に転院したが、同年12月14日、右上顎癌に基づく癌悪液質により死亡した。

そこで、Aの夫(Aの相続人は夫と子の2名であったが、夫がY医師に対する損害賠償請求権の一切について相続する旨の合意をした)は、Aが死亡したのはY医師の診療上の過失(Aの症状によれば、同人に上顎癌などの他の重大な病気の可能性の疑いがあることを十分に説明した上で、より高度な医療を施すことができる医療機関への転医を勧めるべきであったにもかかわらず、これを怠った)により上顎癌の発見が遅れ、効果的な治療を受ける機会を失ったことが原因であるとして、診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づき損害賠償を求めてY医師に対して訴えを提起した。

 

(損害賠償請求)

遺族(夫)の請求額:計4019万7762円
(内訳:逸失利益1219万7762円+死亡慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料500万円+弁護士費用300万円)

 

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:550万円
(内訳:患者の慰謝料500万円+弁護士費用50万円)

 

(裁判所の判断)

1.転医勧告義務の違反の有無

裁判所は、まず、Yのような開業医の役割は、風邪、鼻炎などの比較的軽度の病気の治療に当たるとともに、患者に重大な病気の可能性がある場合には、高度な医療を施すことのできる診療機関に転医させることにあるのであって、開業医は、通院を継続している患者につき、上記診療機関に転医させるべき疑いのある徴候を見落としてはならず、このような徴候を認めた場合には、患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務があるというべきであると、判示しました(最高裁判所平成9年2月25日第三小法廷判決参照)。

その上で、とりわけ、自院において、このような検査をすべき設備が整っていない場合には、速やかに、これらの設備が整い、高度な医療を施すことができる診療機関に転医させて、必要な検査と治療を受けさせるべく、患者に対しては、転医の必要性につき十分な理解が得られるように、可能性のある病気の概要とその重大性について具体的に説明し、また、転医先に対しては、患者に紹介状を持たせるなどにより、それまでの患者の症状と治療経過の概要及び患者に重大な病気の可能性があると判断する根拠を知り得るようにして、速やかな転医による適切な検査とこれによる正確な診断を得て効果的な治療を受ける時期を失しないように配慮すべき注意義務があるというべきであると判示しました。

そして、鑑定や症状、診療経過等を考え併せると、本件においては、平成8年11月12日、遅くとも同月22日の時点で、Aには、上顎癌を含めた上顎洞病変の存否を確定診断するため、CT検査、MRI検査、組織学的検査等の精密検査を行う必要が認められ、Y医師は、自らこれらの検査をする設備が整っていなかったのであるから、上記時期にAに対し、上記検査等を受けさせるべく必要な医療機器を備えた医療機関に転医を勧告すべき義務があったと判断しました。

次に、裁判所は、Yが、同年11月12日及び同月22日、転医を勧めたことについては、AがB病院で「Y医院で大したことはないと説明された」と述べていること、Aが医学には、全くの素人である夫から右上顎癌の疑いを指摘されたときには素直にB病院を受診していることからすれば、Y医師がAに対し、悪性腫瘍等の重大な疾病の可能性もあることを説明して転医を勧告したのであれば、Aは速やかにB病院を受診して必要な検査を受けたであろうと思われるところ、これをしていないことに徴すれば、Y医師はそこまでの説明をしなかった疑いが強いのであって、Aに対して、転医の必要性につき十分な理解が得られるように、可能性のある慢性副鼻腔炎以外の疾患の概要とその重大性について具体的に説明したとは認められないと判示しました。さらに、Aに紹介状を持たせるなどにより、転医先に対して、それまでのAの症状と治療経過の概要及びAに慢性副鼻腔炎以外の重要な疾患の可能性があると判断する根拠を知り得るような措置をとった形跡もないのであって、速やかな転医による適切な検査とこれによる正確な診断を得て効果的な治療を受ける時期を失しないように配慮すべき注意義務があったのにそれを怠ったとして、Y医師の過失(転医勧告義務違反)を認めました。

2.1の義務違反と損害との因果関係の有無

裁判所は、症状、診療経過等に、鑑定を総合すると、平成8年11月12日、遅くとも同月22日の時点において、B病院等精密検査に必要な医療機器を備えた医療機関を受診したとすれば、早期に根治治療(動注化学療法、放射線療法、上顎癌手術を組み合わせた三者併用療法)に着手できた可能性があること、もっとも、速やかに上顎癌の診断を受けてその適切な治療を受けたとしても、その時点においてはAの上顎癌が臨床病期Ⅲ期に進行していた可能性があること、その場合、5年生存率は約60パーセントに低下することが認められると判示しました。

そして、裁判所は、上記事実に徴すれば、Y医師が、Aに対し、同日の時点において、上記転医勧告義務を果たしたことならば、Aがその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性があるというのは無理であり、他にこの事実を認めるに足りる証拠はないから、Y医師が、Aに対し、同月12日、遅くとも同月22日の時点において、転医勧告義務を怠ったこととAの死亡との因果関係を肯認することはできないと認定しました。

ただし、裁判所は、本件では平成8年11月の時点でAは5年生存率が60パーセント程度は存したのであり、Y医師がAに対し適切な転医勧告をしていたならば、Aがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったというべきであるから、Y医師は、民法709条に基づきAが上記可能性を侵害されたことにより被った損害を賠償すべき責任を負うと判断しました。

3.損害額

裁判所は、Aが、Y医師の過失により、その死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性を侵害されたことによって、大きな精神的苦痛を被ったことは、容易に推認し得るところ、Y医師の過失内容、Aの死因となった疾病と症状経過及びその生存率その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を総合考慮すると、この苦痛に対しては500万円をもって慰謝するのが相当と認めると判示しました。

他方、Y医師が転医勧告義務を怠ったこととAの死亡との因果関係を認定し難いことは前示のとおりであるから、Aの夫が主張する逸失利益、死亡慰謝料、夫固有の慰謝料を認めることはできないと判断しました。

以上から、裁判所は、上記認容額の範囲でXの請求を認容し、判決はその後、確定しました。

カテゴリ: 2014年1月10日
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