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No.254「男児が精索捻転症により、左睾丸を喪失。診療所医師に転医勧告義務違反を認めた地裁判決」

名古屋地方裁判所平成12年9月18日判決 判例タイムズ1110号186頁

(争点)

  1. 初診時のY医師の診断上の過失・債務不履行の有無
  2. 初診時における転医勧告義務の懈怠の有無

 

(事案)

平成5年3月17日午前6時ころ、就眠していた患者A(当時小学2年の男児)は、両親に下腹部痛を訴えた。同日午前9時ころ、Aの父親は、Aを連れて車でY診療所(外科、内科及び消化器内科を診療科目とするY医師が経営する診療所)に向かい、家から約5分くらいでY診療所に到着した。その際、Aは、歩き方がゆっくりだったものの、自分で歩くことができた。午前9時30分ころ、AはY診療所でY医師の診察を受けた。当初のAの訴えは左下腹部痛であり、Y医師は触診でAの左下腹部に圧痛があるか否かを確認したところ、最初は圧痛が認められたものの、後に再度同じ場所を触診すると、圧痛が認められなかった。Aの尿検査の結果は正常であり、腹部レントゲン検査の結果も特に異常が見られなかった。

レントゲン写真が現像されるのを待つ間に、Aが父親に睾丸の辺りが痛い旨を告げ、父親は初めてAの痛みの部位が睾丸付近であることを知った。そこで、父親はY医師に対し、Aが睾丸部の痛みを訴えている旨を告げた。

そこで、Y医師は、Aに痛みの部位を確認したところ、痛みの主訴が陰嚢部の辺り、左睾丸部及び鼠径部であったため、Y医師がAをベッドに寝かせ、これらの部分について触診を行ったところ、Aは、「痛い」と訴えるとともに、触診から逃げるようにベッドの上方にズレ上がろうとしたため父親とY診療所の看護師が、Aの左右の腕を押さえた。

触診の結果、左睾丸自体の大きさや位置は正常な位置にあり、左睾丸をしっかりと触ることができ、いわゆる、肥厚や硬結といったものはみられなかった。また、左睾丸の拳上による右睾丸との位置の左右差、当該部位の腫張、皮膚の発赤といったものも認められなかった。

この触診を受け、Y医師は、診療録に「Lt・testis(左睾丸部)及びgroine(鼠径部)を触るとsever pain (激痛)訴えるがsoft」と記入し、「groine(鼠径部)」の文言の下、「sever pain」の文言の上に「(?)」と記入した。

Y医師は、A及び父親に対し、鎮痙剤等の服用を指示した上で、帰宅させた。同日午前10時ころ、Y医師の診察を終えたAは、父母の仕事の都合等で、母親の実家である祖母のもとに預けられ、同所においてY医師の処方どおり鎮痙剤等を服用した。服用後もAの睾丸部の痛みは続いていたが、しばらくは自制範囲内に止まっていた。

同日昼ころ、祖母がY診療所に電話して薬の服用につき指示を仰いだところ、応対した看護師は、Y医師からの指示を受けて、「お薬を飲ませてあげて下さい。」と返事をした。

その後もAは祖母に預けられた状態にあったが、同日午後4時前ころからAの睾丸部の痛みが再び増強し、自制できない状態となった。

Aは、同日午後4時ころ、祖母に連れられて再度Y診療所を訪れた。Yは同日午後4時55分ころAを再診したところ、精索捻転症と疑診し、M市民病院泌尿器科への転院を指示した。

Aは、同日午後6時30分ころ、M市民病院泌尿器科を受診し、精索捻転症と診断され、同日午後9時ころ、左精巣(睾丸)の捻転(回転)、絞扼を解除する措置がとられたが、同部分の血流は回復しなかったため、左睾丸摘出手術を受けざるを得なくなり、結局、左睾丸を喪失するに至った。

AがY医師に対し、不法行為又は債務不履行に基づき慰謝料等の支払いを求めて訴訟を提起した。なお、Aは未成年なので親権者である両親(X1、X2)が訴訟における法定代理人となっている。

 

(損害賠償請求)

患者の請求額:1000万円(内訳:慰謝料900万円+弁護士費用100万円)

 

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:440万円(内訳:慰謝料400万円+弁護士費用40万円)

 

(裁判所の判断)

1.初診時のY医師の診断上の過失・債務不履行の有無

裁判所は、まず、本件初診時におけるY医師の診断上の注意義務の懈怠の有無を判断するに当たって、精索捻転症における典型症状である陰嚢部の激痛(シビアペイン)が認められるか否かが問題となると指摘しました。

そして、診療録に記載された「(?)」の意味については、様々な力を加えてAの睾丸部の触診を行った結果、Aは継続的に比較的強い痛みを訴えるものの、その強い痛みの中でも、非常に強く訴える場合から、弱く痛みを訴える場合まで様々であり、痛みの訴えの程度が一様でないことから、総括して激痛と評価すべきか判断が迷われたため、「sever pain」と記入した上で「(?)」と記入したと認めるのが相当であると判示しました。その上で、Aの初診時までの様子なども踏まえて、本件初診時において、Aに左陰嚢部の強い痛みが生じていたことは認められるが、精索捻転症における典型的症状とされる激痛といえる程度の痛みが発生していたとまで認めるのは困難であると認定しました。

裁判所は、上記の認定に加え、精索捻転症の他の症状である睾丸の位置の左右差、該当部分の腫張・硬結、皮膚の発赤などが認められないこと、他の疾患との鑑別、特に急性精巣上体(副睾丸)炎との鑑別が比較的難しい症例であること、精索捻転症が急性虫垂炎などの他の腹痛疾病と比較して医師が診察に当たる機会は相対的にみて少数であり、Y医師が泌尿器科専門医でないことを考慮し、本件初診時においてY医師がAの疾患につき精索捻転症であることを正確に鑑別し、自ら手術的治療などの精索捻転症に対する適切な治療を行うことは困難といわざるを得ないから、本件初診時におけるY医師の診断上の過失又は債務不履行を問うことはできないと判断しました。

2.初診時における転医勧告義務の懈怠の有無

この点につき、裁判所は、精索捻転症における典型症状が認められないとしても、Aが左下腹部及び左陰嚢部といった局所的な痛みを訴えており、また、痛みの訴えの程度に強弱がみられるとはいえ、ベッドの上方にズリ上がるようなかなり強い痛みを触診において訴えていること、Y医師も、本人尋問において、本件初診時において精索捻転症の可能性があることは認識していたと供述していることに照らすと、本件初診時において、精索捻転症であるとの確定的診断に至らなくとも、原因疾患として精索捻転症の可能性が高いと認識することは十分に可能であったといえると判示しました。

さらに、裁判所は、精索捻転症が急激に発症・進行し、非常・緊急的な処置を行わなければ睾丸の壊死を回避できなくなる危険性の高い疾患であり、精索捻転症の疑いがあり、精索捻転症を否定できなければ緊急手術を行って診断を確定する必要があって、経過観察を行うことは危険性が高いことを考慮すると、Y医師には、A及び父親に対し、精索捻転症に関する説明、具体的には精索捻転症の特徴、発生機序、対処方法、特に対処は緊急性を要することを説明した上、父親に対して、経過観察上の危険性に対する注意を十分に喚起するとともに、A及び父親に対して泌尿器科専門医への転医を勧告し、疾患に対する泌尿器科専門医の医療水準の下の診断・治療を受けさせるべき注意義務があると判断しました。

そして、Y医師において十分な説明を前提とした十分な転医勧告を行ったとはいえず、Y医師には転医勧告義務を怠った点で過失または不完全履行が認められると認定しました。

以上から、裁判所は、上記認容額の範囲でAの請求を認容し、判決はその後、確定しました。

カテゴリ: 2014年1月10日
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