医療判決紹介:最新記事

No.104「都立病院に医療保護入院中の患者が、鎮静剤投与で容態急変。蘇生後脳症により重度の後遺障害。病院側の過失を認め、損害賠償額の算定にあたっては、医療事故前の患者の症状などを考慮して逸失利益を減額した判決」

東京高等裁判所平成13年9月26日判決 判例タイムズ1138号235頁

(争点)

  1. 本件医療事故の原因
  2. T医師の過失
  3. 損害

(事案)

患者X(昭和39年9月生まれの男性)は、平成7年2月11日深夜、自宅において、 暴言を浴びせ、物を投げつけるなどし、不穏、興奮状態が続いたため、Xの母の110番通報により向島警察署の警察官3、4名が訪れ、保護及び事情聴取が行われ、翌12日午前3時20分ころ、警察官3、4名、母及び兄に伴われて、都立Y病院の精神科救急外来に来院した。そして、Y病院当直のT医師は、Xの診療を開始し、帰宅させれば、来院前の不穏状態が容易に再現されるので、入院の必要性があると判断し、12日午前3時20分ころ、母の同意を得て、Y病院に医療保護入院させることとした。

T医師は、患者Xに入院の必要性を告げ、検査及び処置のため、警察官及びK准看護師の助力を得て救急診療室内のストレッチャーに仰臥させた上、午前4時ころ、血圧及び脈拍を測定した。

T医師は、その後、鎮静及び入眠を目的としてサイレース2アンプル(フルニトラゼパム4ミリグラム含有)を緩除に静脈注射した。

しかし、Xが全く入眠せず起きあがろうとしたりするので、T医師は、さらにサイレース1アンプル(フルニトラゼパム2ミリグラム含有)を緩除に静脈注射した。

T医師は、Xが傾眠状態のままで静穏であったため、午前4時30分ころ、一旦保護室を退出しようとしたところ、Xが興奮し始め、大声で叫び、説明をしても納まる様子がないので、鎮静効果のあるヒルナミン2アンプル(塩酸レボメプロマジン50ミリグラム含有)及びヒルナミン投与による副作用を防止するためのアキネトン1アンプルを筋肉注射した。

Xは、なおも体動激しく怒声をあげていたため、T医師は、午前4時45分ころ、サイレース2アンプル(フルニトラゼパム4ミリグラム含有)を緩除に静脈注射した。 そしてXが午前5時ころ、傾眠がちになってきたので、T医師は保護室を退室した。

K准看護師は、午前5時20分ころ、保護室に入室し、Xの収縮期血圧が116ミリグラム、拡張期血圧が60ミリグラム、脈拍が1分間当たり126回、呼吸が整であることを確認した。

T医師は、午前6時ころ、保護室に入室し、Xのバイタルサインをチェックしたところ、左とう骨動脈の拍動が触知できず、呼吸も感じられず、呼びかけにも答えない状態になっており、両眼とも対光反射は確認できなかったので、直ちにY病院内の救命救急センターに連絡し、心マッサージ、人工呼吸等の蘇生処置を施し、救命救急センターに転棟させた。

Xは、本件医療事故以後、Y病院に入院しているが、四肢運動機能全廃という状態で、現在に至るまで意識は回復せず、生命維持のために常に人的介護を必要としている。

(損害賠償請求額)

患者側の請求額:患者自身の請求額1億5730万5188円
(内訳:介護費用2304万2523円+入院雑費499万2547円+通院交通費153万6168円+逸失利益8121万5882円+後遺症慰謝料2600万円+弁護士費用2051万8068円)

患者の母及び兄の請求額 2名合計460万円
(内訳:慰謝料各200万円+弁護士費用各30万円)

(判決による請求認容額)

一審の認容額
患者自身につき1億4545万6778円(内訳不明)
患者の母につき120万円
患者の兄につき40万円

控訴審(高裁)の認容額 患者自身につき9138万1655円
(内訳:介護費用2057万1765円+入院雑費445万7215円+通院交通費137万1451円+逸失利益4294万2770円+後遺症慰謝料2000万円-受給済みの傷害基礎年金596万1546円+弁護士費用800万円)

患者の母につき120万円(慰謝料100万円+弁護士費用20万円)
患者の兄につき0円

(裁判所の判断)

本件医療事故の原因

この点につき、裁判所は、

(1)T医師がXに投与したサイレースの量が、能書記載の投与量の6倍にも相当する極めて多量なものであり、かつ、その間に併用されたヒルナミンの投与量も一回分としては相当量を上回っていること

(2)Xは、サイレースの最終投与後の35分後から75分後までの間に呼吸停止等の急変を生じ、蘇生後脳症(低酸素脳症)に陥ったものであること

(3)フルニトラゼパムの血中濃度半減期等を考慮すると、第二相半減期の二時間程度までは副作用発現の危険性があるとされている上、多量のサイレースが投与された患者にヒルナミンを併用投与する場合には、サイレースの薬効が増強され、呼吸停止等の重大な副作用をもたらす可能性があり、しかも、併用投与後70分程度経過してから発症する可能性もあること

(4)本件全証拠によってもXにはサイレース及びヒルナミンの投与のほかに呼吸停止等の原因があるとは窺われないこと

などに照らし、Xは、T医師により多量のサイレースを投与された上、ヒルナミンを併用投与されたことにより呼吸停止等の状態に陥ったと認定しました。

T医師の過失

裁判所は、サイレースを投与した後、モニタリング等による経過観察を行うことは極めて有効であるから、T医師は、本件発症のような事態を防ぐため、テレメーター式心電図モニターを装着し、又は、他科からパルスオキシメーターを借用してこれをXに装着し、Xについて投与後二時間程度はこれらのモニターを用いた経過観察を行う義務を有していたというべきであり、このような方法であれば、医師と看護師の二名による当直体制においても、経過観察を必要に応じて十分にすることができると判示しました。

また、本件発症当時は、サイレース投与後30分程度までは十分な監視を怠らないという程度の経過観察を行うことが精神科においては一般的慣行であったと窺われるが、本件医療事故以前の発行である「精神救急ハンドブック」の「鎮静マニュアル」においては、患者を鎮静させた後にモニターを装着し、鎮静後90分が経過するまでは、10分又は15分間隔でバイタルサインをチェックするものとされていること、実際に精神科入院以後の措置として、平成7年1月から3月までの間に、Y病院において6.1パーセント、F病院で10.9パーセント、B県精神科医療センターにおいて3パーセントの割合でモニターによる心肺監視等の措置が行われていたと認定しました。

その上で、サイレース投与後の経過観察の方法についての精神救急ハンドブックにおける記述、Y病院等におけるモニタリングによる経過観察の実施状況等に加えて、Y病院が、都内全域を三ブロックに分けて実施している精神科救急患者に対する診療事業のうち一つのブロックを担当している基幹病院であることを考慮すると、本来は全身麻酔の導入等に使用されるべきサイレースを、精神科救急医療における急速鎮静のためという能書には記載のない用途に使用し、しかも、能書に定められた上限を遙かに超える大量のサイレースを、その作用を増強させる効果を有するヒルナミンと併用して使用した本件にあっては、T医師には、本件発症当時、モニタリングによる経過観察を行う注意義務が存在したと認めるのが相当であり、仮に、本件発症当時、サイレース投与後30分ないし40分の間隔で経過観察を行うという方法が精神科救急医療における一般的傾向であったとしても、それは平均的事例につき平均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというにすぎず、本件の場合にその一般的傾向を当てはめることは相当でなく、かつ、上記のような極めて特異で危険な診療行為を実施しながらその副作用の発現のおそれに対しこのような平均的な医療慣行にとどまる対応で問題がなかったと主張するのは医療機関の在り方として基本的な姿勢を問われるものといわざるを得ず、そのような平均的慣行に従った医療行為を行ったというだけでは、本件のような事例において、精神科救急医療の中心的存在に位置づけられる病院の医師に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできないと判示しました。

そして、T医師は、Xに対するサイレース等の投与後、モニタリングによる経過観察、又は少なくともこれとほぼ同程度の頻回の監視による経過観察を行うべきであり、かつ、その経過観察により本件医療事故の発生を防ぐことが可能であったのに、これを怠ったものであるから、T医師には経過観察義務の違反があったと認定しました。

損害

裁判所は、Xの学歴、就労状況、求職状況、Xが躁うつ病及び境界性人格障害と診断されていることなどから、境界性人格障害者の場合、完全就労する率は必ずしも高くないことを考慮すると、Xは、本件医療事故がなければ30歳から67歳に達するまでの37年間就労可能であり、本件医療事故発生当時の平成7年の賃金センサス男子労働者・学歴計・30歳ないし34歳の年収513万9400円の5割の年収を得ることができたと推認されると判示して、逸失利益について減額をし、上記金額の損害賠償をY病院を設置、管理、運営する東京都に命じました。

カテゴリ: 2007年10月12日
ページの先頭へ