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No.268「特発性間質性肺炎(IIP)に罹患した患者がその急性増悪により死亡。患者の胸部CT画像に肺癌の存在を疑うべき陰影があったが、医師が肺癌の可能性を確認するための精密検査をせず、肺癌の発見が遅れた。患者が約半年長く生存する権利が侵害されたとして病院側の損害賠償責任を認めた地裁判決」

松山地方裁判所西条支部 平成12年2月24日判決 判例時報1739号124頁

(争点)

  1. 肺癌の可能性を考慮するための精密検査を実施しなかった注意義務違反の有無
  2. 注意義務違反とAの死亡との間の因果関係の有無

 

(事案)

平成6年3月29日、A(死亡当時75歳の男性。喫煙歴が1日30本、約50年というヘビースモーカー)はYの開設する労災病院(以下、Y病院という)の循環器科の診察を受け、Y病院に雇用され医療業務に従事していたK医師(平成5年3月、M大学医学部を卒業。同年5月、M大学医学部第二内科入局。同年12月、Y病院循環器科就職)の診察を受けた。以後K医師がAの主治医となった。

Aの主訴は、労作時の息切れ、呼吸困難、疲れやすいというものであった。

K医師は、肺又は心疾患を考え、Aに対して、心肺の機能検査(動脈血ガス分析、心電図胸部レントゲン、肺機能検査)と血液検査を施行した結果、動脈血ガス分析では低酸素血症が、心電図で二段脈、不完全右脚ブロックが、胸部レントゲンで両肺野の微細な網状陰影がそれぞれ認められ、肺機能検査では拘束性換気障害の所見が見られた。さらに、肝機能検査では、肝・胆道系の酸素の上昇が見られ、肝・胆道系の疾患が示唆されたので、K医師は胸部CT検査、ホルター心電図及び肝・胆道系の疾患に関する検査を施行することにした。

同年4月5日に行った胸部CT検査の結果、肺は、肺野全体、特に末梢及び肺低部に強い繊維性変化があって、蜂巣状の陰影を呈しており、続発性の肺気腫と嚢胞があった。肺野に1×1.5センチメートルの結節陰影(これが結果的には肺癌であった)が認められたが、炎症後の瘢痕と読影した。また右肺の胸膜肥厚があった。

以上の所見から、特発性間質性肺炎(以下、IIPという)が最も疑わしかったため、間質性肺炎の原疾患の鑑別診断のため、膠原病、サルコイドーシス等の諸検査を行ったが、異常を認めなかった。

K医師は胸部CT検査及び臨床検査並びに当時のAの状態(発熱なし。著明な低酸素血症なし。)から、Aは慢性型のIIPに罹患していると診断した。

同月6日に行ったホルター心電図検査の結果、Aに連発型の非持続性心室性頻脈が認められ、治療の必要性があったことから、同日から、抗不整脈剤の投与が開始された。

K医師は、Aの症状は、慢性型のIIP、連発型の非持続性心室性頻脈、肝・胆道系の異常によるものと診断した。K医師は、Aが肺癌に罹患しているのではないかという疑いは持たなかったので、Aの通院期間中、初診時の胸部レントゲン検査、4月5日の胸部CT検査以外には肺癌の可能性を確認するための精密検査も追跡検査も実施せず、上記3疾患に対する治療としては、不整脈の治療のみを行った。

なお、肺癌の確定診断のためのCTガイド下針生検又は吸引細胞診はY病院では行うことは困難であったが、同市内のガンセンターにこれを依頼することはできた。

Aの不整脈は抗不整脈剤投与により、最初のころは症状は改善に向かったが、初診後約1か月ころ、Aは、K医師に対して「これだけいろいろ検査したけれども、体が楽にならない。一体検査等にお金がいくらかかっているのだ。」と強い調子で不満を述べた。K医師はこのとき初めてAが健康保険を使わずに自費で医療費を払っていることを知ったので、Aに対し、「健康保険に加入していないはずはないから、市役所に行って加入の事実を確かめるよう」勧めるとともに、Y病院の事務担当者に対しても「加入していないのであれば、加入の仕方を教えてあげるよう」に伝えたが、Aは健康保険に加入しようとしなかった。Aは実際には平成5年5月から国民健康保険に加入していたが、AもY病院もこの事実を知らなかった。

平成6年9月、AがK医師に対して、「友人が癌で亡くなった。」と述べたので、K医師は速やかに健康保険に加入してほしいという意味をこめて、「Aさんも悪いものがあるかもしれないから入院した方がいい。」と入院を勧めたが、Aは明確な返事をしなかった(K医師は、このとき肺癌の疑いを持っていたわけではなかった)。K医師は、Aが健康保険を使用せずに高額な医療費に強い不満を述べていたことから、高額な検査をすることに躊躇を感じていたが、AはK医師の具体的な検査の勧めに対して拒否したことはなかった。

Aは、平成6年11月ころから、背部痛、腰痛、全身倦怠感などを感じるようになり、同年12月8日、Y病院を訪れ、息苦しさと著しい全身倦怠感を訴えて入院を希望したのでY病院は入院の措置をとった(このとき初めてAの妻がAに内緒で国民健康保険料を払い込み、Aもこれに加入していることが判明した)。

入院当日の胸部レントゲン検査および胸部CT検査により、右肺に4×3センチメートルの腫瘤陰影(上記の1×1.5センチメートル結節陰影の増大したもの)が認められた(ただし、平成6年12月9日、12日に行われた喀痰細胞診では陰性であった)。

そして、入院当日の心電図、翌9日の血液検査(腫瘍マーカー、肝機能検査)、同月12日のガリウムシンチグラム及び同月27日の骨盤のレントゲン写真によれば、AはIIPに肺癌(血清NSEが304Dng/mlの高値(正常値は10以下)を呈していることから、肺小細胞癌と見られる。)を合併し、その外に原発性胆汁性肝硬変、心室性期外収縮が存在する状態であり、肺癌は遅くとも同月27日には骨転移を伴っていた(肺小細胞癌のⅣ期)。

担当医師は、同月20日からIIPの急性増悪に対してステロイド剤を投与してIIPの治療に当たったが、Aはステロイド剤の副作用により消化管出血をきたして更に全身悪化を招き、平成7年1月13日午後11時13分IIPが悪化して死亡した。

Aの妻及びAの子が、K医師は、通院の初期の段階でAの肺癌の可能性を考慮して諸検査を実施し、適切な治療をすべき義務があったのにこれを怠った等として、K医師を雇用するYに対し、損害賠償請求訴訟を提起した。

 

(損害賠償請求)

患者遺族らの請求額:2200万円
(内訳:患者固有の慰謝料2000万円+弁護士費用200万円)

 

(判決による認容額)

裁判所の認容額:合計550万円
(内訳:患者固有の慰謝料500万円+弁護士費用50万円)

 

(裁判所の判断)

1.肺癌の可能性を考慮するための精密検査を実施しなかった注意義務違反の有無

この点について、裁判所は、平成6年4月5日に行った胸部CT検査の結果、Aの肺野に1×1.5センチメートルの結節陰影が認められ、かつ、Aは喫煙歴が1日30本、約50年というヘビースモーカーであり、しかも、肺繊維症を有していたので、肺癌が高いリスクで考えられたから、鑑別すべき疾患として肺癌を念頭におき、手遅れにならないように慎重に診療を進める必要があったのに、K医師は、右結節陰影を炎症後の瘢痕と考えて肺癌に関する精密検査を実施しなかったため、Aの肺癌は同年12月まで発見されなかったことが認められるから、K医師には注意義務違反があると判断しました。

2.注意義務違反とAの死亡との間の因果関係の有無

この点について、裁判所は、まず、Aの直接の死因は呼吸不全であり、呼吸不全の原因はIIPの急性憎悪であること、腫瘤はセグメント六(肺下葉の背側)に限局していたので、肺小細胞癌単独で呼吸不全をきたすことはあり得ないし、これが呼吸不全を助長したことも考えられないと判示しました。また、裁判所は、肺癌を治療しなかったからといって、IIPの進行を助長したり、IIPに対するステロイド剤治療の効果を減弱させたことは考えられない、もっとも、Aは初診時に比べて入院時は相当な体力低下をきたしており、仮にAの体力が低下するまでに肺小細胞癌やIIPに対して迅速な治療をしていれば、IIPに対するステロイド剤による胃潰瘍出血などの経過が異なっていた可能性があると判断しました。

裁判所は、Aの肺小細胞癌が初診当時のころ何期であったか明らかではないとした上で、Aの不整脈は治療によりむしろ改善されてきており、Aの全身衰弱にほとんど寄与していなかったと考えられ、また、原発性胆汁性肝硬変は無症候性であり、これもAの全身衰弱にほとんど寄与していなかったと考えられると判示し、そうすると、Aの場合、IIPと肺癌の合併症の臨床報告に基づいて実際よりもどの程度長く生存することができたかを考慮してもよいと考えられるとして、初診ころから数ヶ月間の経過観察後に精密検査がなされてⅣ期の確定診断がつき、肺小細胞癌の化学療法を迅速に行っていれば、AはIIPに対してステロイド剤が有効であったから、肺小細胞癌の治療もIIPの治療も良好に推移したと考えられ(IIPと肺癌が合併した症例についての臨床報告によると)、Aは少なくとも実際よりも約半年長く生存することができた蓋然性が高いと認定しました。

これを踏まえて、裁判所は、Aの直接の死因は急性増悪したIIPであり肺小細胞癌が死亡原因に直接寄与したものということはできないが、K医師の注意義務違反がなければ、Aは少なくとも約半年長く生存することができた蓋然性が高いことが認められるとして、K医師の注意義務違反とAの死亡との間には因果関係があると判断しました。そして、裁判所は、Aが肺小細胞癌に対する適切な治療の機会を奪われ、約半年長く生存する権利を侵害されたものであり、これにより精神的苦痛を受けたと認定し、当該精神的苦痛に対する慰謝料は500万円が相当であると判断しました。

以上より、裁判所は、上記裁判所認容額の限度でAの遺族(妻子)の請求を認容しました。その後、判決は確定しました。

 
カテゴリ: 2014年8月10日
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