医療判決紹介:最新記事

No 251「救急で搬送されたTIA(一過性脳虚血発作)の患者を医師がTIAでないと判断。約2週間後に患者が脳梗塞を発症し後遺障害を負う。病院側に慰謝料の支払いを命じた地裁判決」

福岡地方裁判所平成24年3月27日判決 判例時報2157号68頁

(争点)

  1. Y病院医師らの過失の有無
    (1)TIA又はその疑いが強いと診断すべきであったか
    (2)早期機序確定・治療開始義務違反があったか
  2. 早期機序確定・治療開始義務違反とXに生じた後遺障害との因果関係の有無

 

(事案)

平成21年3月3日午後9時頃、X(当時70歳の女性)は、持ち帰りの食品を受け取るために、自宅近くの居酒屋を訪れ、飲食はせず、代金を支払うために財布から硬貨を取り出そうとした際、左手から硬貨を落とし、それを拾ってはまた落としていた。また、顔面の片側が垂れ下がっている様子が見受けられた。居酒屋の経営者夫妻は、Xの様子が、以前同店で脳梗塞を発症した客の様子と似ていたため、同日午後9時03分頃、119番通報し、Xについて、意識があるものの、左上肢にしびれがあると説明し、救急車の出動を要請し、Xの夫Aにも連絡した。救急隊員は、接触時のXの状況について、椅子に座っており、意識清明、顔色正常、呼吸正常であること、自覚症状もなく主訴等もないこと、四肢のしびれや麻痺もなく、頭痛、嘔気、めまいもないこと、外観状態として歩行不能と認めた。

救急隊員は、Xに一過性脳虚血発作(以下、TIAという。)の疑いがあるとして、同日午後9時15分頃、Xを、かかりつけである、Y医療法人財団が開設する病院(以下、「Y病院」という)に救急搬送した。

Y病院は内科、循環器科、神経内科、外科、放射線科、リハビリテーション科等の診療科目がある救急告示病院、精密検査実施医療機関等の施設登録を有している医療機関である。

Xは、平成2年4月27日にY病院内科を初めて受診し、本態性高血圧症の診断を受け、その後も他の疾病でY病院内科に通院していたが、主として高血圧症に対する投薬治療を受けていた。

Xは、当時、毎日飲酒し、喫煙も一日当たり煙草20本程度を、約30年間続けており、それについて主治医から指導を受けていた。

Y病院の当直医であったO医師(消化器外科専門)は、救急活動記録票により救急隊員がXに接触した際の状況が上記のようなものであったことを確認した。O医師は、Xを診察し、Xが来院時、血圧が166/110、意識清明で、歩行障害はなく、腱反射、瞳孔反射ともに正常であることを確認した。O医師は、当時は、意識障害があるのがTIAだと思っていた。Xの意識は清明であり、救急隊員からXに意識消失はないと聞いたため、XはTIAでないと判断した。

O医師は、付添にきたXの夫Aから脳梗塞の疑いはないかと質問を受けたが、Xが翌日Y病院で受診する予定であり、また、当日は十分な検査ができないので、翌日検査を受けるように伝え、異常時は再診するように伝えた上、Xを帰宅させた。

翌3月4日、Xは、Y病院を再度受診し、主治医であるH医師の診察を受けた。

H医師は、診察に先立ちカルテを見たところ、Xが前日救急搬送され当直医が診察したこと、TIAが疑われたことが書かれていたことから、急性脳梗塞の有無を診断すべく、脳の単純MRI、脳動脈のMRA、DWIの各検査の依頼をした。

もっとも、H医師は、前日の当直医であった「O医師」を循環器専門医の「O.H.医師」と誤解していたため、カルテに異常所見の記載がないのは、O.H.医師が脈拍の触診、心音・呼吸音・頸部音の聴取をしても問題がなかったからであり、同医師がXを診察した結果、TIAの確定診断には至らなかったものであると思っていた。

また、H医師も、当時、一過性の意識障害がTIAであると誤解していた。

H医師は、本件発症についてXに詳しく尋ねることはせず、Xが小銭を取りこぼしたのは平成20年11月の追突事故により左手指のしびれがあることによるものと考えたが、交通事故後の症状と本件発症の内容等を比較して問診することはしなかった。

H医師は、単純MRI、MRA、DWIの各検査結果から陳旧性脳梗塞、多発性脳虚血と診断し、Xの前日の症状について心原性のものである可能性は低いとして、心電図検査は実施しなかった。H医師は診察及び検査の結果から、新鮮脳梗塞等を否定したが、前記のTIAに対する誤解や問診を十分行わなかったことから、Xの前日の症状がTIAないしその疑いであるとは診断せず、それまでと同様の投薬を処方し、4月8日の診察の予約をした上で診察を終了し、特にそれ以上の指示を与えることなく、帰宅させた。

同月17日午後10時頃、Aは、うたた寝から起きたXの舌が少しもつれ、表情がこわばっているのを感じたが、Xの状態が長時間継続しなかったことから、そのままXを寝かせた。

翌18日午前4時40分頃Xは自宅のトイレの前で倒れた。Aが物音に気付いて見に行ったところ、倒れていたXを発見し、直ちに119番通報した。Xは、同日午前5時18分、国立病院機構Q医療センター(以下、医療センターという)に救急搬送され、医療センターにおいて、意識障害、重度の感覚性失語、右上下肢麻痺が認められ、頭部MRI検査で脳梗塞急性期と診断され、そのまま緊急入院した。

同センターでは、脳梗塞の機序が心原性脳梗塞症であると診断した。Xは、リハビリを優先目的とする治療を行うために、同年4月8日にY病院に転院し、7月14日まで入院した。

その後、Xは、週3回、Y病院に通院している。Xの退院時の身体状況は、感覚性失語について、簡単な日常会話はある程度できるが言葉や記憶が混乱することがよくある状態、右上肢については、腕を肩の高さまで辛うじて挙げられるものの、つかむなどの行為は全くできない状態であり、右下肢については、下肢装具着用で辛うじて自力歩行可能な状態であった。Xは5月13日、要介護3級の認定を受けており、その後も要介護度の認定に変化はない。

そこで、Xは、Y病院の担当医師らは、TIA又はその疑いが強いと診断し、その機序を早期に確定し、直ちに治療を開始すべき義務があったのに、その診断を誤ったためにこれを怠り、また、その機序の確定、治療についての専門的知識や技量を有していないというのであれば、他の専門医療機関に転送する義務があったのにこれを怠ったとして、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求を行った。

*TIAとは24時間以内に消失する局所脳虚血症状。重篤な脳梗塞の前駆症状であることが多く、臨床的に重要な疾患である。発症直後のTIAは救急疾患として対処する必要があるので、1週間以内に検査をすませ、治療を開始する。

 

(損害賠償請求)

患者の合計請求額:8053万5244円
(内訳:入院治療費62万4111円+入院雑費17万8500円+入院付添費77万3500円+介護費10万円+将来介護費3693万9136円+装具代8万5890円+自宅改修費19万8798円+休業損害35万0948円+逸失利益746万2976円+入通院慰謝料250万円+後遺障害慰謝料2400万+弁護士費用732万1385円)

 

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:440万円
(内訳:慰謝料400万円+弁護士費用40万)

 

(裁判所の判断)

1.Y病院医師らの過失の有無

(1)TIA又はその疑いが強いと診断すべきであったか

裁判所は、まず、本件当時に一般的であった医学的知見からすれば、TIAが一過性の意識障害ではなく一過性の神経障害を伴う脳虚血症状であることは明らかであり、TIAの診断においては過去の症状についての問診が重要であること、TIAが疑われた場合には、速やかに原因を検索し、治療を開始すべきことも、上記一般的知見に含まれており、これらについては、脳卒中の非専門医でも認識しておくべき内容であったと判示しました。

その上で、裁判所は、本件当時、脳卒中の非専門医であっても、TIAの疑いがあるとされた患者を診察するに当たり、意識障害がなかったことをもって除外診断をすべきではなく、発症時の症状等について問診を行い、その結果が診断基準に該当する場合には、TIAと診断し、又はこれを強く疑ってその後の診断等に臨む必要があったというべきであるとしました。

裁判所は、次に、TIA又はその疑いが強いと診断すべきであったかにつき、O医師とH医師それぞれに関して検討しました。

  (ア)O医師について

裁判所は、前記のとおり、本件発症がTIAであったことを前提に、これを見逃したO医師の診察行為の適否について検討すると、前記認定のとおり、O医師は、本件発症時にXに生じた局所脳虚血症状を疑わせるエピソードをX又は救急隊員から聴取し、TIAの疑いで救急搬送されてきたことを認識していたのであるから、当時の一般的医学的知見に基づき、TIAが脳梗塞の前駆症状であり、Xに将来脳梗塞が発症する危険性が高いことを意識した上で、Xに生じた症状や既往症等についてXや付き添っていたAに対して、詳細な問診を行うべきであったとしました。

しかしながら、O医師は、一時的な意識障害をTIAと誤解していたため、上記のような詳細な問診をすることなく、Xに意識障害は生じていなかったことから、TIAについて否定的な判断をしたのであり、裁判所はこのような診断は不適切であったというべきであると認定しました。

  (イ)H医師について

裁判所は、H医師はXが診察日の前日である3月3日午後9時15分にTIAの疑いで救急搬送されたことを認識したのであるからH医師も、当時の一般的医学的知見に基づいて、TIAが脳梗塞の前駆症状であり、将来脳梗塞が発症する危険性が高いことを意識し、本件発症時にXに生じた症状がTIAであったか否かを診断すべく、Xから、その当時生じた症状の内容や発症した状況、症状の持続時間、過去に同様の症状が起きたことの有無、その際の状況や持続時間等について詳細に問診を行い、場合によっては、当日は同席していなかったAからも事情を聴取するなどして、Xに生じた症状について詳細に把握すべきであったと判示しました。

裁判所は、そして、上記問診を行っていれば、本件発症時にXに生じた症状がTIAの場合に現れる局所脳虚血症状に合致していることを認識し、その他にXに脳梗塞の危険因子である高血圧があったこと、頭部単純MRI、MRA、DWIの各画像検査でTIAの有力な傍証である陳旧性脳梗塞の所見が発見されたことを総合考慮し、Xの本件発症がTIAであった疑いが強いと診断すべきであったと判示しました。

その上で、裁判所は、H医師も、一過性の意識障害がTIAであると誤った認識を有していた上、前日の当直医がO医師ではなく、循環器専門医のO.H.医師と誤解していたため、同医師がTIAについて否定的な診断をしている以上、TIAの可能性は低いと考え、当日の時点で脳梗塞を疑わせる所見がないことから、これについて、否定的な診察をしたのであり、このような診断は不適切であったと認定しました。

(2)早期機序確定・治療開始義務違反があったか

裁判所は、一般的医学的知見によれば、TIA又はその疑いが強い場合には、速やかに原因を検索し、治療を開始するべきものであり、O医師、H医師はその義務を負っていたと判示しました。

  (ア)O医師について

裁判所は、前述の知見によっても、TIAの患者について、即刻入院させる義務までを医師が負うものとまではいえず、1週間程度の期間内に原因を検索し、そのために必要であれば入院を勧める義務を負うにとどまるものと考えられるとし、O医師は、Xが翌日にY病院を受診する予定であったことから、その日は入院を勧めずに、帰宅させたものであることからすれば、O医師は上記義務に違反したものとまではいえないと判断しました。

  (イ)H医師について

裁判所は、H医師は、前記認定の諸検査を行って、原因検索の相当部分については、実施したということができるが、前記のとおり、診断を誤ったため、それ以上の原因検索、特に心臓に原因があるかどうかの検討を行わず、特段の注意を与えることもなく帰宅させたものであり、TIAの原因をさらに検索して、これに対応する治療を開始する義務を怠ったものというべきであると認定しました。
 

2.早期機序確定・治療開始義務違反とXに生じた後遺障害との因果関係の有無

この点につき、裁判所は、XはH医師の診察の時点では、全く無症状であったから、その後に、場合によっては入院を伴う集中的な検査を行うことについて、Xがこれを理解せず、通院を怠ったり、入院を拒否したりして、3月18日までに検査が終わらず、又はこれに基づく治療が開始されなかった可能性も十分あったと判示しました。

また、仮に3月4日以降、入院するなどしてホルター心電図などの検査がなされたとしても心房細動が発見されたとは限らないこと、さらにXの心房細動が発見され、抗固療法が開始されたとしても、同療法も100%脳梗塞の発症を防ぐことのできるものではなく、なお脳梗塞が発症していた可能性は否定できないことも指摘しました。

その上で、裁判所は、H医師の義務違反がなかったとしても、Xの3月18日の脳梗塞を防止し得た高度の蓋然性を肯定することは困難であり、結果との相当因果関係は認められないと判断しました。

ただし、裁判所は、Xは、相当因果関係の存在を前提として慰謝料等の請求をしているが、少なくとも黙示的予備的に、Y医療法人財団に過失がなければ重篤な後遺障害を免れた相当程度の可能性の侵害による慰謝料の請求をしているものと解するのが相当であると判示しました。そして、H医師に過失が認められ、その結果、Xに後遺障害が生じなかった相当程度の可能性を侵害されたことによる損害が発生していることからすれば、Y医療法人財団は、使用者責任に基づき、Xに対して損害賠償責任を負うと判断しました。

以上より、裁判所は、上記裁判所認容額の限度でXの請求を認容しました。

その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2013年11月10日
ページの先頭へ