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No.182「大学病院入院中の患者が手術後に失踪し、転落死。術後せん妄による転落死についての病院側の予見義務を否定し、危険行動防止措置義務違反、捜索義務違反、家族への連絡義務違反、施設管理義務違反をいずれも否定し、遺族の請求を棄却した地裁判決」

東京地裁平成21年9月15日判決 判例タイムズ1328号196頁

(争点)

  1. 病院の医療従事者らが患者が術後せん妄を発症して転落死することを予見できたか
  2. 病院の医療従事者らに患者の危険行動を防止するための措置をとる義務があったか
  3. 病院の医療従事者らに患者を捜索する義務についての違反はあったか
  4. 病院の医療従事者らに失踪時に家族に連絡する義務はあったか
  5. 病院に施設管理義務違反はあったか

(事案)

A(本件当時63歳の男性)は、平成16年12月ころ、B病院で食道癌と診断され、平成17年(以下、平成17年中の日付については年の記載を省略)2月23日、B病院から紹介されたY大学病院(以下、Y病院)に入院し、3月8日に食道癌の治療のために右開胸開腹頸部切開、腹腔鏡・胸腔鏡補助下における食道亜全摘、三領域(頸・胸・腹)リンパ節郭清及び胸骨後経路胃管再建術(以下、第1回手術)を受けた。

その術後、Aは半覚せいの状態で準集中治療室(以下、HCU)に入室したが 呼びかけに対する応答は鈍く、身の置き場がない様子が見受けられたため、セレネース静注にて鎮静した。また、点滴ラインを自己抜去するおそれがあったため、家族の了解を得て、Aの両上肢が抑制された。

3月9日、夜間危険行動が見られなかったことから、抑制は中止された。しかし、HCU入室中、ドレーンの自己抜去、不眠、失見当識が見られ、術後せん妄の発症が疑われた。そこで、夜間や必要時にはAの体幹・両上肢の抑制が実施された。

Aは3月17日にHCUから一般病棟に帰室し、その後はドレーンの自己抜去、失見当識等が見られることはなかった。

7月26日、Aは頸部食道及び皮膚ろう造設術、胸骨後膿瘍洗浄ドレナージ及び胃管縫合閉鎖術(第2回手術)を受けた。第2回手術後、Aは全覚せいの状態でHUCに入室したが、翌27日には入院棟に帰室した。なお、第2回手術後にAに対して体幹・両上肢の抑制が実施されることはなかった。7月29日、Aは、朝から覚せいし、手を振戦させて周りの片付けをしたり、いきなり立ち上がってナースステーションまで行き、しきりに誰かを探したりしていた。また、朝から数回歩行していたが、歩く速度が以前に比べてとても速く、午後4時ころには落ち着きのない行動が見られなかったが、午後11時30分ころからは、介助なしでトイレに2回行くなど落ち着きのない様子であり、ドレーンを固定するためのマジックテープを取ろうとしていたが、C看護師が取れない旨の説明をすると、うなずいてベッド上で仰臥位になった。翌30日午前0時30分ころ、Aは、看護師から見て、多動・不穏と見られる様子があった。

しかし、10分後の同日午前0時40分ころ、D医師が病室のベッドサイドでAを直接観察し、セレネース(抗精神病薬)及びレンドルミン(催眠鎮静薬)を投与したが、Aは暴れたりする様子もなく、ベッド上仰臥位で、にこやかな表情を浮かべ、うちわでゆっくりと顔をあおいでいた上、「そろそろ寝ましょうね。」とのD医師の呼び掛けにうなずく動作をするなど入眠する気配を見せていた。

その後同時55分ころ、C看護師が、廊下に血痕があることに気付き、その階を見回ったところ、Aが病室にいないことが判明した。

同日午前1時ころから、C看護師は、トイレを捜索した後、血痕を追って、1階トイレ付近まで捜索したが、見つからず、警備員にも捜索を依頼した。

同日午前1時30分ころ、C看護師は、当直医、管理師長、警備員、守衛に連絡して捜索を依頼したが、血痕が入院棟から救急外来方面への分岐点で途切れていたことから、立体駐車場等の屋外へ出てしまった可能性を考え、手分けして捜索を開始した。

同日午前3時ころ、D医師がX1(Aの妻)に電話連絡の上、警察に一次保護依頼を出した。D医師は、X1に、Aが病院を抜け出してしまい、今後自宅に戻る可能性もあるため家族はしばらく自宅待機してほしいことなどを伝えた。

同日午前3時25分、D医師は、警察に捜索が急を要する旨を伝え、警察官は捜索を開始した。この後も、医療従事者らは、警察からの連絡を待ちつつ、Aの捜索を継続した。

同日午前8時50分、D医師は、X1に家族の1人が来院することを求めた。午前11時ころ、X1、X2(Aの子)が到着したため、D医師らは、両名に対して失踪及び捜索経過についての説明を行った。

同日午前11時30分ころ、警備員がY病院の敷地内を再度捜索し、医師7名も2班に分かれてY病院敷地外まで捜索範囲を広げて捜索したが、Aを発見するには至らなかった。

X1とX2は、同日午後12時30分ころ、Y病院敷地内併設の看護師宿舎東側の植え込みの中でAが倒れているのを発見した。現場は草で深く覆われ、Aの足のみが辛うじて見える状況であった。その後、直ちに現場に駆けつけた医師がAの死亡を確認した。また、同宿舎の屋上外階段にAのスリッパが履き捨ててあるのが確認された。

その後、X1ら遺族は、Y病院の医療従事者らはAがせん妄を発症しており、その影響で自殺を含めた危険行動に出ることを予見できたのに、これを予見しなかった上、危険行動防止のために患者の体幹・両上肢の抑制を実施する義務、患者を適切に捜索する義務、患者の失踪時点で家族に連絡すべき義務、患者が病棟の外に出ないように病院施設を適切に管理する義務があったのにこれを怠ったため、Aは死亡したと主張し、病院に対して損害賠償を求めて訴えを提起した。

(損害賠償請求額)

遺族の請求額 :計4508万8474円
(内訳:逸失利益915万6127円+患者固有の慰謝料2500万円+葬儀費用383万3395円+子供2名の固有の慰謝料各150万円+弁護士費用409万8952円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:計0円

(裁判所の判断)

病院の医療従事者らが患者が術後せん妄を発症して転落死することを予見できたか

この点について裁判所は、本件の事情の中には、Aが術後せん妄を発症しているとの若干の疑いを生じさせないものがないわけではないが、術後せん妄の中核的症状は意識障害であるとされ、術後せん妄の症候や診断基準としても、患者に意識清明期の後に意識障害、記憶欠損、失見当識、言語障害等の認知の変化が発現することがあげられているところ、失踪直前のAにはこれらが認められず、かえって、AはD医師に対して穏やかで落ち着いた様子を見せていたのであるから、若干のせん妄の疑いを生じさせるような事情が認められるからといって、これらによって、直ちに、Y病院の医療従事者らにおいて、Aが術後せん妄を発症していることを認識することができたとか、上記各事情の存在時と近接した時期にAが術後せん妄を発症することを具体的に予見すべきであったとかということはできない。まして、Aが術後せん妄によって危険な行動をとり、転落死することを具体的に予見すべきであったということもできない、と判示し、Y病院の医療従事者らの予見義務を否定しました。

病院の医療従事者らに患者の危険行動を防止するための措置をとる義務があったか
(1)体幹・両上肢の抑制(身体拘束)をする義務について

この点について裁判所は、かつて、慢性の意識障害や痴呆の患者に無秩序に身体拘束を行ったことに対する反省もあって、今日、身体拘束をなくす取り組みが広がっている。こうした動きを受けて急性期医療現場のスタッフにも身体拘束を行うことに対する罪悪感が少なからず存在している。しかし、急性でかつ重症の意識障害患者が入院する看護現場では、飽くまでも患者の生命リスクを勘案して、患者にとって最もよい選択としての身体拘束に対する考え方を持つべきである。ただ、こうした「許される身体拘束」の判断と実施の手続きを現場の個々のスタッフに任せるのではなく、明確な判断基準をもって実施すべきと思われる。その上で、有効でできるだけ患者に負担のない拘束方法を検討することが重要と思われる、と判示しました。

そして、身体拘束を実施すべき義務の有無について、裁判所は、患者に対する身体拘束は、患者の人格を傷付け、不穏を引き起こす原因にもなるという見解があることにも照らすと、患者の生命リスクを勘案して身体拘束が必要な場合があることは否定できないとしても、その実施については、患者の人権を尊重するために極めて限定的にされることが望ましいというべきである、と判示し、Y病院においては、上記のような点も考慮して、事故が予測される場合に限って患者の行動制限を実施することができる旨定められているものと解される、としました。

その上で、本件では、失踪当時、Y病院の医療従事者らにおいて、Aが術後せん妄を現に発症していることを認識することができたとか、近接した時点でこれを発症することを具体的に予見すべきであったとはいえないから、術後せん妄の発症により事故が予測される場合であるとして、Aの体幹・両上肢の抑制を実施すべき義務があるということはできない、と判示しました。

(2)催眠鎮静薬(レンドルミン)の投与後に患者を監視・観察する義務について

この点について裁判所は、レンドルミンには、副作用として、せん妄を随伴する合併症が現れる場合があり、Aが術後せん妄を発症した可能性を全く否定することはできない。しかし、7月30日以前のレンドルミンの投与後に、Aに術後せん妄の症状は一度も現れておらず、セレネースを併用することで副作用が軽減されることにも照らすと、レンドルミンの投与によってAが術後せん妄を発症した可能性は低い、と認定しました。

そして、裁判所は、本件の事実経緯からすれば、Aについて、レンドルミンの投与によってせん妄を発症することを具体的に予見できたとか、予見すべきであるとは言えず、結局、Y病院の医療従事者らにおいて、Aについて常時ないし頻回の観察をする義務があったということはできない、と判示しました。

病院の医療従事者らに患者を捜索する義務についての違反はあったか

この点について裁判所は、まず、Y病院の建物の配置・構造、Aが自力歩行も可能な状態まで回復していたこと、立体駐車場からは他の病院建物への通路もつながっており、立体駐車場出口からは左右に道路が分かれていることを併せて考えると、Aの移動可能範囲はY病院敷地内の全方向にわたる、と認定しました。

そして、Aの失踪直後にAのものと思われる血痕が入院棟A1階ロビーから立体駐車場手前まで点々と続いていた事実があったとしても、Y病院の医療従事者らにおいて、直ちに、Aが立体駐車場あるいはその先にある看護師宿舎2号棟付近に居ることを予見するのは極めて困難な状況であった、と認定しました。

そして、Y病院の医療従事者らは、Aの捜索を実施しており、これはY病院の医療安全マニュアルの内容に照らしても、Y病院として必要と考えられる捜索を自ら実施したものということができるから、Y病院に捜索義務違反があったとはいえない、と判示しました。

病院の医療従事者らに失踪時に家族に連絡する義務はあったか

この点について、裁判所は、Y病院の医療安全マニュアルには、患者が夜間に病室を不在にしているのを発見した場合の対応として、「管理当直、夜勤師長に報告する。患者様のご家族に心当たりについて伺う。」と定められているが、Aの失踪が判明したのは7月30日の午前0時55分ころという深夜であることからすると、Y病院内で捜索を尽くしても患者が発見されず、タクシー等で自宅へ帰宅する可能性が考えられた時点で初めて家族への連絡を検討することとしたY病院の対応は、社会一般の常識から外れたものとは言い難いから、それ以上に、Y病院の医療従事者らにおいて、Aの失踪が発覚して直ちにX1ら家族に連絡すべき義務があったということはできない、と判示しました。

病院に施設管理義務違反はあったか

この点について裁判所は、Y病院は、患者の生命・身体の安全を確保すべき一般的な施設管理上の注意義務を負うものということはできるが、術後せん妄状態の患者が外に出ないようにするには、立体駐車場に続く出入口のみならず病棟の出入口すべてを施錠するか、すべての出入口を警備員に常時監視させる措置を講ずる必要があるが、それは容易でなく現実的でもないし、そのような措置を講ずるべきことを求めた公的な基準等も認められないから、Y病院において出入口を施錠し、あるいは警備員に監視させる措置を講ずるべき義務があったとはいえない、と判示しました。

また、患者等の部外者が看護師宿舎の外階段に侵入できないような措置を講ずるべき義務についても、そのような措置を講ずるべきことを求めた公的な基準は認められないし、看護師宿舎各棟はY病院の敷地内にあるとはいえ、病院等とは接続されておらず、部外者の立入りは客観的にも想定されていないことからすれば、Y病院にそのような措置を講ずるべき義務があったとはいえない、と判示しました。

以上から、裁判所は遺族らの請求を全て棄却し、その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2011年1月11日
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