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No.541「人工呼吸管理中の気管支喘息患者が呼吸不全による脳組織低酸素状態となり後遺障害が残存。病院の債務不履行責任を認めた地裁判決」

東京地方裁判所平成14年2月13日判決 判例タイムズ1140号214頁

(争点)

 人工呼吸管理下において◇が脳組織低酸素状態になったことについて、△が債務不履行責任及び不法行為責任を負うかどうか

*以下、原告を◇、被告を△と表記する。

(事案)

◇(昭和10年9月26日生まれの女性)は、昭和57、8年ころから気管支喘息の症状が現れるようになり、昭和59年7月ごろから、治療のために社会福祉法人である△の開設する病院(以下「△病院」という。)の外来に通院し、気管支拡張剤の内服投与を継続していた。◇は、以前に何度か気管支喘息による発作を起こし、夜間に△病院に通院するなどしていたが、いずれも歩行は困難となるなどの重度の発作ではなく、点滴等の治療薬の投与によって収まっていた。

また、◇は、昭和62年8月ごろ、小脳梗塞に罹患したことがあったが、これを原因とする後遺障害は残らなかった。

平成元年1月9日(以下、年月を省略した場合はいずれも平成元年1月の出来事である。)、◇は咳を頻発するようになったため、同日午後10時20分ごろ、△病院の救急外来を受診し、H医師(△病院勤務医)の診察を受けた。

H医師は、◇の身体所見の診察、採血検査、レントゲン撮影及び動脈血ガス分析をした。レントゲン撮影の結果等では、明らかな異常は認められなかったが、胸部聴診の結果、全肺野に喘鳴を聴取した。動脈血ガス分析の結果は、PaO(動脈血酸素分圧)は58.4torr(mmHg)、PaCO(動脈血二酸化炭素分圧、動脈血炭酸ガス分圧)は35.2torr、SaO(動脈血酸素飽和度)は90.7%であり、◇は会話が可能であった。H医師は、◇を気管支喘息の中等度発作と診断した。

なお、PaOは、動脈血液中に溶解した酸素ガスの分圧であり、血液中の酸素ガスの利用度を反映しており、PaCOは、動脈血液中に溶解した炭酸ガスの分圧であり、肺におけるガス交換の効率を示す指標であるが、正常値は、PaO(60歳以下の人)については 89から96.5torr、PaCOについては、35から44torr、SaOについては95から96%とされており、PaOが60torr以下、PaCOは45torr以上、SaOが90%以下であれば、高度の気道閉塞を示しているとされており、PaOが60torrを切る場合、低酸素血症といわれる。

H医師は、喘息発作に対し、サルブタモール(気管支拡張剤)の吸入、テオフィリン(気管支拡張剤)の点滴静注、酸素吸入等の治療を開始した。その後、10日午前0時30分ごろ、◇は「少し楽になった。」と述べるなど、改善傾向が認められ、同日午前0時38分ごろの動脈血ガス分析の結果でも、PaOが79.6torrと上昇転換した(なお、PaCOは37.2torr、PaOは95.5%)が、◇の喘鳴が継続していたことなどから、H医師は、△病院の主当直医であったI医師と相談の上、◇を入院させることとし、◇は、同日午前1時ごろ、△病院の318号室(3、4人部屋)に入院した。

10日午前9時ごろから、T医師(△病院勤務医)が◇の治療を担当することとなった。

T医師は、同日午前12時過ぎごろ、◇の発作が長時間続いており、継続的治療にもかかわらず症状が改善しないこと、◇の呼吸筋の疲弊が著しく、自発言語も徐々に少なくなっていたことから、人工呼吸の適用があると判断し、◇を個室へ移送した。同室は、気管内挿管や人工呼吸管理の際の器具が常備されており、また、看護室に隣接し、看護室との間はガラス張りになっていて、患者等の状態を常時観察することが可能となっていた。

T医師は、10日午後1時6分ごろ、◇に対しセルシンを静脈注射して、◇の意識レベルを低下させた後、同日午後1時9分ごろ、経口的に気管内挿管を行った。そして、挿管後、◇の意識を完全になくすために再びセルシンを静脈注射し、また、◇の自発呼吸が強く、人工呼吸器が作り出す呼吸に同調できないと、気道内圧が上昇し、圧外傷(気胸)を合併する危険があることなどから、同日午後1時15分には、ミオブロック(パンクロニュウム。筋弛緩剤)を静注して、自発呼吸をなくし、さらに、同日午後1時17分にはソセゴン(ペンタゾシン。鎮痛薬)を静脈注射した。

同日午後1時20分ごろ、◇に対し人工呼吸による機械的人工換気が開始された。

この人工呼吸療法は、平成元年当時、最も一般的な気道陽圧呼吸療法であり、1回に患者の肺に送り込む換気量と1分間の呼吸回数と吸入器の酸素濃度を設定することで、呼吸様式を作り出すものである(患者の自力呼吸を完全に停止させ、人工呼吸器によって呼吸させ、患者に酸素を送るとともに呼気を排出させる方法である。)。

人工呼吸開始後、◇には、心電図、血圧波形、呼吸曲線、心拍数、血圧値、呼吸数、体温、脈拍数、気道内圧等を常時検知することができるモニター装置が取り付けられ、隣の看護室に置かれたモニター画面によって、これらのバイタルサインを常に監視できることが可能となる体制がとられていた。そして、これらのバイタルサインが異常値を示した場合には、アラームが鳴るような警報装置も設置されていた。また、◇の意識レベルを低下させた状態を保ち、気管内挿管に伴う咽頭痛や自発呼吸を防ぐため、ミオブロック及びセルシンが静脈注射された。ミオブロック及びセルシンの効果は、いずれも約3、4時間持続することから、◇に対しても、3、4時間ごとにミオブロック及びセルシンが投与された。

10日午後2時30分ごろ、◇は大丈夫かとの問いに対してうなずき、当日午後11時30分ごろ、◇は会話(意思表示)可能であり、11日午後5時45分ごろ、◇は問いかけに対してうなずき、同日午後8時35分ころには、◇からナースコールがあった。その間、◇の脈拍数及び血圧は、いずれもほぼ安定した状態であった、

1月12日になって、胸部レントゲン写真の結果、◇の右上葉の肺に無気肺が認められ、気管支鏡の所見では、右上葉肺が粘調な痰で完全に閉塞していたことから、同日午前10時ごろ、気管支(肺胞)洗浄が行われるとともに、そのころから、約30分から1時間ごとの割合で頻繁に体位交換(体位変換ドレナージ)及びタッピング吸引(肺理学療法)が行われた。

体位交換とは、患者の体位を変えることによって、気管支の末梢から分泌物を出すことであり、またタッピング吸引とは、患者の胸部を殴打して末梢にある分泌物を上部に誘導して、吸引を容易にした上で、吸引チューブを挿管してある気管内チューブ内に入れて、分泌物を吸引するものであり、吸引している間は、人工呼吸器との間の管を一旦外すこととなる。

当日午後4時ごろ、担当看護師がN看護師に替わり、N看護師はそのころ、◇に対し、体位交換及びタッピング吸引を行い、また、T医師は◇に対し、ミオブロック及びセルシンを投与した。その後、セルシンは1月17日に◇に対し気管切開を施行する直前に至るまで、◇に投与されていない。また、体位交換及びタッピング吸引は、その後、12日午後6時まで行われていない。気管支洗浄は、同日午前10時ごろに行われた後は、同日午後8時40分ごろまで行われた形跡がない。

◇は、人工呼吸中の12日午後6時過ぎころ、脳組織が低酸素状態となった。また、◇には、人工呼吸中、動作性ミオクローヌス(ミオクローヌスとは一つ又は多くの筋の短時間の不随意な収縮)が発生した。具体的には12日午後6時から同日午後6時15分にかけて、◇には、呼吸困難(呼吸苦)、体動及び四肢チアノーゼが見られ、同日午後6時15分に行われた脈拍検査の結果、脈拍数は154と急激に上昇した。T医師は、そのころ、◇にミオブロックを注射し、また、N看護師がタッピング吸引を行ったところ、◇の口唇色は改善し、同日午後6時30分ころには脈拍数は90に下がり、血圧も110/70と正常値を示していた。しかし、同日午後6時45分には、脈拍数が168と上昇し、血圧が180/100と上昇した。12日の看護日誌の「点滴 注射 処置」欄の午後6時45分ごろの列には「再固定す」との記載がある。

同日午後7時20分以降も、頻回に体位交換及びタッピング吸引が行われ、特にタッピング吸引は、同日午後11時ごろまでは、約30分に1回の割合で極めて頻繁に行われた。

しかしながら、同日午後6時15分ころ以降、◇には呼吸苦や体動は認められなくなり、13日午前2時ころには、◇の意識が覚醒しないこと(昏睡状態)から、看護師が当直の医師に報告をした。

動脈血ガス分析は、12日午前9時6分ごろの後は、13日午前9時27分ごろに行われたが、その結果は、PaOが88.9torr、PaOが22.1torr、PaOが98.1%であった。

T医師は、13日の午前中ころ、◇の他覚所見として、半昏睡状態であると判断し、同日午後1時20分ごろ、脳波検査、眼底検査等を施行したが、脳波検査の結果は、脳全般に代謝面の低下を示唆する所見が見られたものの、大脳半球の活動状況に左右差はなく、また眼底検査の結果も特に異常は認められなかった。

同日午後9時ごろ、T医師は、◇の他覚所見として、半昏睡から昏睡の状態であると判断し、同日午後10時30分ごろ、頭部CTスキャンを施行したが、脳血管障害等の異常は認められなかった。

14日、◇の意識状態に変化はなかったが、睫毛反射、下肢のミオクローヌス、顔面神経の痙攣等が認められ、T医師は、セルシン及びフェノバルビタール(抗痙攣薬)を投与した。

その後、15日から17日にかけても、◇の意識状態は昏睡のまま変化せず、また、口唇のミオクローヌス及び四肢等に動作性ミオクローヌスが引き続き認められた。

17日、気管挿管後、約1週間が経過したが、引き続き人工呼吸器による管理が必要であったため、T医師は◇の夫の了承を得た上で、気管切開術を施行した。

18日になって、◇の意識レベルは回復し始め、19日には傾眠状態に回復したため、リハビリテーションを開始した。

そして、23日からは人工呼吸器からの離脱訓練を開始し、27日に、人工呼吸器から自発呼吸へと移行した。

平成元年2月1日、◇に対して再び頭部CTスキャンが施行され、その結果、右尾状核から被殻にかけて、レンズ核線条体動脈の領域及び左小脳に低吸収域を認めたが、これは昭和63年に施行されたCTスキャンの結果と比べて変化がなく、新たな梗塞巣は認められなかった。

平成元年3月14日にも頭部CTスキャンが施行されたが、格別な変化は見られなかった。◇の症状は、同年2月ごろ以降、臨床的に安定し、同年2月23日の時点において、◇は自覚症状として気分良好であり、他覚所見として、発熱はなく、呼吸音はほぼ正常であり、眼球運動及び対光反射も正常であったが、口唇にミオクローヌスが生じており、また、四肢に動作性のミオクローヌスが生じていた。また、深部腱反射に左右差はなく、病的反射もなかった。T医師は、◇の症状についてランス・アダムズ症候群と評価し、リハビリテーションを続ける方針を採用した。

◇は、平成元年7月5日、リハビリテーション専門医のいる病院でさらにリハビリテーションを継続するため、S病院に転院した。T医師は、S病院のN医師に対して◇についての紹介状を作成したが、その際、◇の症状として、ランス・アダムズ症候群及び気管支喘息であると診断した旨を記載した。

S病院のN医師及びK医師は、同月21日、◇について、身体障害として構音障害、四肢・体幹失調症等がある旨の診断をし、同年8月ごろ、◇は身体障害程度2級に認定された。

そこで、◇は、△病院に勤務していた医師による人工呼吸管理の不備があったため、人工呼吸中に脳組織低酸素状態に陥り、それが原因で後遺障害が生じ、損害を被ったとして、△に対し、債務不履行又は不法行為に基づき損害賠償を請求した。

(損害賠償請求)

請求額:
1億8601万4464円
(内訳: 治療費751万0621円+付添看護費1487万2407円+入院雑費172万9200円+近親者の交通費222万3000円+医師等への謝礼285万円+将来のリハビリテーション及び看護費用6236万3343円+休養損害261万1356円+後遺症による逸失利益5330万3961円+慰謝料3050万円+弁護士費用800万円)

(裁判所の認容額)

認容額:
9435万5073円
(内訳:治療費124万9230円+付添看護費1393万2407円+入院雑費43万5600円+将来のリハビリテーション及び看護費用2339万8507円+休業損害134万2226円+後遺症による逸失利益2629万7103円+慰謝料2270万円+弁護士費用500万円)

(裁判所の判断)

人工呼吸管理下において◇が脳組織低酸素状態になったことについて、△が債務不履行責任及び不法行為責任を負うかどうか

前提として、裁判所は、平成元年1月12日午後6時過ぎころに◇の脳組織が低酸素状態となった原因について、呼吸不全による動脈血低酸素状態(低酸素血症)と認めるのが相当であると判示し、さらに、呼吸不全の原因については、気管支喘息の症状が悪化して分泌物等により気道が閉塞したことによるものであると推認するのが相当であると判断しました。

その上で、裁判所は、◇は、10日に△病院に入院した当時、気管支喘息の発作により呼吸困難、喘鳴等の症状が現れており、その後、◇には人工呼吸器が取り付けられ、しかも、筋弛緩剤及び鎮静剤を継続的に投与されて、自発呼吸をすることができず、意識レベルも最も低い昏睡状態にあり、気道内に分泌物が発生した場合、これを自ら喀出することができず、気道内に分泌物が貯留しやすい状態にあり、その結果、気道閉塞により呼吸不全となりうる状態にあったと認められるのであるから、△は、頻繁に動脈血ガス分析を行い、◇の呼吸状態、チアノーゼの有無、脈拍数、血圧等を常に監視し、異常が認められた場合には、体位交換、タッピング吸引等により分泌物を吸引するなどして、重篤な呼吸不全による動脈血低酸素状態の発生の防止に努めなければならないと指摘しました。

そして、◇にはモニター及び警報装置が取り付けられており、◇の症状に異常が生じた場合には、△病院の医療従事者において直ちに気づくことが可能な体制にあったとしました。

裁判所は、このような◇の症状、◇に対する治療状況、△病院の治療体制等に照らすと、本件診療契約上、△は、人工呼吸中に気管支喘息の症状が悪化して、分泌物の貯留等により気道が閉塞して、低酸素脳症低酸素性脳症となるような重篤な呼吸不全による動脈血低酸素状態が◇に生じることを防止する義務があり、これは本件診療契約における△の債務の具体的な内容となっていたものというべきであるとしました。

裁判所は、しかるに、◇は、人工呼吸中に重篤な呼吸不全による動脈血低酸素状態に陥り、その原因は、分泌物による気道閉塞であるものと推進されるのであり、その結果、低酸素性脳症となって構音障害、四肢・体幹失調症等の後遺障害が生じたのであるから、△は本件診療契約上の債務の履行を怠ったものというべきであるとしました。

裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇の請求を認めたところ、その後控訴され、控訴審で和解に至りました。

カテゴリ: 2025年12月10日
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