医療判決紹介:最新記事

No.219「大学病院に入院した患者に褥瘡が発症。病院の褥瘡発生防止義務違反を否定して患者の請求を棄却した地裁判決」

横浜地方裁判所平成14年7月16日判決 判例タイムズ1189号285頁

(争点)

褥瘡発生防止義務違反の有無

(事案)

X(本件当時59歳の男性)は、平成8年5月2日、発熱、咳、痰等を訴え、学校法人Yが経営するY大学病院(以下Y病院という)内科・外来を受診した。Y病院内科医師はXの胸部エックス線撮影、尿検査、血液検査を行い、抗生剤等を処方して、一週間後の来院を指示した。Xは同月9日、再度来院して診察を受け、抗生剤等が処方された。

同月14日昼ころ、Xは救急車でY病院に来院し、2、3日前から39度の発熱、呼吸困難があるなどの症状を訴えた。Y病院呼吸器内科のH医師らが各種検査を行ったところ、Xは、重い呼吸不全状態にあると認められたため、医師らは緊急入院の措置を採り、Xは同日Y病院に入院した。なお、Xの病名は当時不明であったが、後にシェーグレン症候群及びこれに伴う膠原病性間質性肺炎と判明した。

H医師らは、緊急入院後直ちに、酸素マスクを用いた酸素投与を行ったが、動脈血酸素量が正常値まで回復しなかったため、高濃度の酸素を投与する人工呼吸器による呼吸管理を開始した。

Y病院では、自力で体を動かすことのできない入院患者に対して、褥瘡の発生を防止するため、通常、看護師が2名1組となって2時間ごとに体位交換を行うものとされ、また、1日1回身体の清拭を行うものとされている。

Xは、同年5月14日から同年6月2日までの期間には意識のない状態にあり、自力での体動ができず、体位交換、身体の清拭、排便用につけていたおむつの交換はY病院の看護師が行っていたが、同年5月17日、Xの左踵及び臀部(仙骨部)に褥瘡が生じていることが認められた。この時点では、仙骨部の褥瘡はいまだ発赤を示す程度にとどまっていたが、同月19日には、仙骨部の褥瘡は水疱状態に進行した。

Xは、鎮静剤から覚醒した同年6月2日、褥瘡による激痛を看護師に訴えた。

Y病院は、Xが覚醒する以前である同年5月24日、Y病院皮膚科の医師を往診させてXの褥瘡の診察、治療を行わせ、その後も、同年6月28日から退院までの間に合計8回仙骨部褥瘡の壊死組織のデブリートメント(除去術)を行うなど、褥瘡の治療を行った。

Xは、同年9月18日、Y病院を退院し、以後肺炎及び褥瘡について、Y病院の呼吸器内科及び皮膚科にそれぞれ通院し治療を継続した。平成11年(2月現在)Xの仙骨部には有痛性瘢痕が残存している。

Xは、学校法人Yには1ないし2時間ごとの体位交換、皮膚の清拭、マッサージ、栄養補給等を確実に実行して褥瘡の発生を防止すべき看護管理上の義務があったにもかかわらず、その義務を怠ったとして、損害賠償を求めて訴えを提起した。

(損害賠償請求額)

患者の請求額:計701万2981円(内訳:医療費280万2361円+通院交通費7万0620円+入通院慰謝料350万円+弁護士費用64万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:0円

(裁判所の判断)

褥瘡発生防止義務違反の有無

裁判所は、学校法人Yは診療契約の一内容として、Xに対して褥瘡発生を防止すべき看護管理上の義務を負っているが、褥瘡が発生したからといって、直ちに褥瘡発生防止義務違反として学校法人Yに債務不履行義務違反が生じると解するのは相当ではなく、治療行為を行う際に一般的に要求される義務を怠ったといえる場合に債務不履行責任が生ずるものというべきであると判示しました。

そして、体位交換については、平成8年5月14日の来院直後から同月19日ころまでの期間は、急性呼吸促迫症候群と呼ばれる、救命が困難で死亡率の高い重篤な呼吸不全状態であったから、Xの生命保持を最優先し、たとえ褥瘡発生の危険性があったとしても、動脈血酸素飽和度等の低下の危険性のある体位交換を差し控えるべき時期であったと判断しました。その後同月30日ころまでの期間は、その前の期間に比較すれば改善が見られるものの、依然として急性呼吸促迫症候群に属するか、又は若干程度だけ離脱しかかった状態にすぎないものと考えられるから、死亡率の高い危険な状態であることに変わりがなく、呼吸状態いかんで注意深く体位交換を試行してみることは可能であるが、機械的に2時間おきの体位交換を行うことは厳に慎まなければならない時期であったといえると判示しました。さらに、その後同年6月18日ころまでの期間は、死亡率の高い危険な状態は脱しているものの、なお呼吸不全状態(急性肺障害)が続いているばかりでなく、呼吸不全の患者の容態の重篤度を示す数値であるP/F比は、ほとんどの期間にわたって250ミリメートル水銀柱を下回っている(200ないし300ミリメートル水銀柱の間は、急性肺障害と呼ばれ、急性呼吸促迫症候群よりは軽症であるがそれでもない呼吸不全と評価される状態)ことを考えると、動脈血酸素飽和度等の低下をもたらす体位交換に慎重な姿勢をとることは十分理由があるものといえると判断しました。

加えて、同月2日の時点に至るまで、原因疾患がいまだ特定されていなかったところ、このことは体位交換により状態が悪化した場合に、これを回復する手段を的確に選択することが難しい状態にあったことを示すものができると認定しました。

そして、このような状態の中で、Y病院の看護師は、Xに対し、動脈血酸素飽和度が94パーセント以上であれば体位交換を行い、90パーセントを下回る場合は絶対に行わず、91ないし93パーセントの場合は、様子をみながら試行してみるが、いずれの場合でも、体位交換をしてみて動脈血酸素飽和度が90パーセントを切った場合は、すぐ体位を元に戻して動脈血酸素飽和度の上昇を図ることとする等の方法で体位交換を行っていたものであることを考えると、結果的に2時間ごとの体位交換ができなかったとしても、このことをとらえて医療機関としての義務違反に当たるとすることは相当でないというべきであると判断しました。

次に、清拭についても、看護師は、Xに対して優先的に清拭を行い、平成8年5月14日から同年6月30日まで個室にいる間は、全身清拭と部分清拭を組み合わせ、全身清拭が行われる日が7、部分清拭しか行われない日が3くらいの割合で、毎日清拭を行っていたものであり、このような清拭の実施状況について、Y病院に医療機関としての義務違反に当たるものがあるとすることは相当でないと判断しました。

栄養管理についても、Xは、平成8年5月14日時点で既に栄養障害の状態にあり、かつ、極めて重篤な呼吸不全に陥っていたため、当初は点滴による栄養管理を行わざるを得なかったが、同月19日からは経管栄養に切り替え、その後も徐々に経管栄養を増量していったこと、褥瘡発生に気づいた同日以後は、皮膚科医師の診察・治療を求めながら看護計画を立てて褥瘡悪化の防止に努めていることから、栄養管理や褥瘡治療の実施について義務違反に当たるものがあるということはできないと判断しました。

以上から、裁判所は、Xの請求を棄却し、判決はその後、確定しました。

カテゴリ: 2012年7月 5日
ページの先頭へ