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No.289「胃および脾臓の全摘手術を受けた患者に対し、術後、ビタミンB1を投与せず高カロリー輸液を施行したことにより、患者がウェルニッケ脳症を発症。病院側に損害賠償が命じられた地裁判決」

仙台地方裁判所平成11年9月27日判決 判例タイムズ1044号161頁

(争点)

ウェルニッケ脳症を予見し、その発症を防止すべき義務違反の有無

 

(事案)

X(36歳・男性)は、胃の不調を訴え平成4年6月29日にY1特殊法人(現在は独立行政法人)が経営するY病院に入院し、胃悪性リンパ腫と診断された。

Xは、同年7月14日にY2医師(Y病院の副院長兼外科部長)を主治医として胃及び脾臓の全摘手術(以下、本件手術)を受け、その後同年8月25日にT大学医学部附属病院に転院するまでの間、Y病院においてY2医師により術後の治療を受けた。

Y2医師らは、本件手術により十分な栄養を経口摂取できないXに対し、同年7月15日から同年8月19日までの間、糖質輸液又は高カロリー輸液による栄養補給を行ったが、その際、ビタミンB1を含むビタミン剤を一切投与しなかった。

Xは、同年8月10日ころより、約50センチメートル以上離れると視点が合わず、吐き気がするなどとして複視の症状を訴え初めたため、Y2医師らは、同月11日、Y病院の眼科にXの診断を依頼した。眼科では注視眼振及び近視と診断され、耳鼻科的疾患及び脳幹部病変の可能性が指摘された。そこで、Y2医師らは同月12日、Y病院の耳鼻科にXの診断を依頼した。耳鼻科でも注視方向性眼振が認められ、中枢性疾患、脳幹部障害の可能性が指摘された。

そこで、Y2医師らは、同月14日、Y病院の内科にXの診断を依頼した。

内科でのCT撮影では小脳、脳幹部に明らかな病変は認められなかったものの、動眼神経障害を否定できないとして、同月17日にMRIが施行され、外転神経麻痺、中脳障害、胃の悪性リンパ腫の脳転移及び脳梗塞が疑われた。

Xは、同月18日ころから、物忘れが激しく、夢と現実が混ざってよく分からないなどと訴えるようになり、同月19日には時間の感覚や前夜の記憶がないなど意識障害が現われた。

同月20日、原告の外転神経麻痺に改善が観られ、物忘れ等の症状は睡眠導入剤であるハルシオンの副作用である可能性が大きいと考えられた。

ところが、Xは、同月21日、意識に変化を生じ、同日午後5時15分ころ、突然錯乱状態を来したため、Y2医師らは同日、再びY病院の内科にXの診断を依頼したところ、神経内科専門の医師による診察を勧められた。そこで、Y2医師らは、同月22日、財団法人N病院の神経内科医に原告の診断を依頼したところ、悪性リンパ腫に由来する脳底髄膜炎の可能性が指摘され、精密検査のため大学病院への転院を勧められた。

Xは、同月25日、T大学病院の脳神経内科に入院した。

入院時の所見で、Xには、軽度の意識障害、眼球運動障害、眼振、躯幹失調、しゃっくり、網膜の小出血斑等の症状が認められたことから、T大学病院の医師らは、まず胃の悪性リンパ腫に由来する癌性髄膜炎を疑ったが、髄液に異常が認められなかったことから、次にビタミンB1欠乏を疑った。

そこで、同月26日より、Xにビタメジンの投与を開始したところ、意識が改善し、数日して眼球運動、眼振及び躯幹失調の改善が認められた。意識の改善と共に著明な逆行性及び前行性の記憶障害が明らかとなり、Y病院で同年8月17日に施行されたMRIで第三脳室に接する両側の視床にT2WI上高信号が認められ、中脳水道周囲にも高信号化が観察されていることに照らして、ビタミンB1欠乏によるウェルニッケ脳症が疑われた。

同年9月8日、ビタメジン投与前のXの血中ビタミン濃度についての検査結果が明らかになり、ビタミンB1について1ミリリットル当たりの基準値が26.4から67.0ナノグラムであるのに対し、4ナノグラムしかなかったことが判明した。これを承けて、T大学病院の医師らは、Xの症状についてウェルニッケ脳症と診断した。

Xは、同年10月9日に、T大学病院の第二内科に転科となり、平成5年1月27日にT大学病院を退院し、その後同病院の内科、脳神経内科、神経精神科において通院治療を継続している。

Xの症状のうち意識障害をはじめとするいくつかについてはT大学病院におけるビタミンB1の投与により改善したものの、治療開始から4年6月が経過した平成9年3月17日の時点でも、新たな記憶の蓄積ができない近時記憶障害、右眼における上方向への眼振を伴った垂直方向での眼球運動障害、方向転換や直線上を真っ直ぐに歩けないなどの失調性歩行、下肢のしびれを主とする末梢神経障害が残っており、これらの障害についての完全な回復を期待することは困難な状況にある。

Xは労働能力を100パーセント喪失し、記憶障害により日常生活を自立して行うことができず、随時介護が必要であり、自宅で妻の介護を受けている。

そこで、Xが、Y1に対しては債務不履行責任(診療契約についての不完全履行)及び不法行為責任(Y2医師らの使用者としての使用者責任)に基づく損害賠償を、Y2医師に対しては、不法行為に基づく損害賠償を請求した。

 

(損害賠償請求)

患者の請求額 : 1億2997万0924円
(内訳: 逸失利益7903万3666円+付添介護費用1893万7258万円+慰謝料2000万円+弁護士費用1200万円)

 

(判決による認容額)

裁判所の認容額 : 1億2997万0924円
(内訳:逸失利益8557万5179円+付添費用1578万1048万円+慰謝料2000万円+弁護士費用1200万円の合計額1億3335万6227円のうち、Xの請求金額)

 

(裁判所の判断)

ウェルニッケ脳症を予見し、その発症を防止すべき義務違反の有無

裁判所は、まず、Xに発症したウェルニッケ脳症の原因はビタミンB1の欠乏であったことを認定しました。

次に、裁判所は、完全に調整された高カロリー輸液は販売されておらず、必要な栄養素を調整して使用しなければならないこと、なかでも各種ビタミンは糖、アミノ酸、脂質の代謝を円滑に行わせるための補酵素としてそれぞれ独自の重要な役割を果たしており、しかもその大部分は生体内で合成されないから、高カロリー輸液による栄養管理が長期にわたる場合には適正量投与しなければならず、これを怠ればそれぞれのビタミンに特有の欠乏症や過剰症を発症すること、高カロリー輸液中にビタミン剤を全く投与しないと7日程度で欠乏症を発症することが認められると判示しました。

また、裁判所は、とりわけビタミンB1については、ブドウ糖をエネルギーに変えるために必要な補酵素であり、一日当たりの所要量は1ないし2ミリグラムであるが、高カロリー輸液施行時のような代謝促進時には所要量が増大すること、しかも過剰分が速やかに尿中に排泄される水溶性ビタミンであり、成人における体内貯蔵量は30ミリグラム程度に過ぎないこと、したがって、ビタミンB1を添加しないで高カロリー輸液を施行することは、高カロリー輸液中のブドウ糖についてエネルギー源としての価値を失わせるばかりか、体内に貯蓄されたビタミンB1の消費を促進させ、早期にその枯渇を来すことが認められると判示しました。

さらに、裁判所はビタミンB1欠乏症の典型的疾患は、脚気、アシドーシス及びウェルニッケ脳症であり、いずれもビタミンB1の摂取によって予防できることが認められるとしたうえで、ビタミンB1を投与せずに高カロリー輸液を施行すれば、ビタミン欠乏症の典型的疾患であるウェルニッケ脳症を発症させる危険があり、これを防止するためにはビタミンB1の摂取、投与が必要であると認定し、Y2医師も、本件当時、上記各事実についての知識を有していたことを明言していると指摘しました。

上記事項を鑑み、裁判所は、ビタミンB1を投与せずに高カロリー輸液を施行すれば、ビタミンB1欠乏症を発症させる危険があること、ウェルニッケ脳症はビタミンB1欠乏症の典型的疾患の一つであり、ビタミンB1の摂取、投与により予防できることは、平成4年6月当時において、Y2医師らにその獲得を期待することが相当な臨床医学上の知見であったと判断しました。 

そして、Y1、Y2医師らには、これらの知見を有することを前提として、栄養を経口摂取できない患者に対し、ビタミンB1を投与せずに高カロリー輸液を行えば、ビタミンB1欠乏症を発症させる危険があることを予見すべき注意義務が認められ、この義務を尽くしていれば、ビタミンB1欠乏によりウェルニッケ脳症が発症する危険があることを容易に予見し得たはずであると認定しました。

裁判所は、治療経過とXの症状に照らすと、本件手術直後のXに対し高カロリー輸液を行えばビタミンB1が欠乏する状態に在ったのであるから、このようなXに対し、高カロリー輸液を行うに当たって、ウェルニッケ脳症の発症を予見することなく高カロリー輸液中にビタミンB1を投与しなかったY2医師らには、上記注意義務(栄養を経口摂取できない患者に対し、ビタミンB1を投与せずに高カロリー輸液を行えば、ビタミンB1欠乏症を発症させる危険があることを予見すべき注意義務)違反が認められると判示しました。

以上より、裁判所は、Xの請求を認容しました。その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2015年6月10日
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