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No.371 「脳底動脈部脳動脈瘤のネッククリッピング手術を受けた患者に脳梗塞が出現し、脳ヘルニアとなり死亡。医師らに、患者の内頸動脈を損傷した過失や、血行再建を後回しにしてネッククリッピング手術を行った過失があるとして、市立病院側に損害賠償を命じた地裁判決」

福岡地裁大牟田支部平成14年4月9日判決 判例タイムズ1138号221頁

(争点)

  1. 内頸動脈を損傷させた過失の有無
  2. 損傷された内頸動脈を長時間遮断させたままにした過失の有無

(事案)

平成5年5月29日午前7時頃、A(昭和12年生まれの女性)は、突然頭痛を訴え受診したS病院での頭部CT検査で、くも膜下出血の疑いがあるとして、同病院の医師からY1市が運営する総合病院である病院(以下「Y病院」という。)を紹介され、同日午前11時ころ、転院入院した。

同日、脳血管撮影(初回撮影)が行われたが、はっきりとした出血の原因となるものは認められず、くも膜下出血直後の血管攣縮(動脈瘤が縮んで造影されない現象)が生じていると考えられたため、血管攣縮が治まるのを待って、再度脳血管造影を実施することとし、それまで保存的に経過観察を行うこととした。

6月15日、再度脳血管撮影を行ったところ(2回目撮影)、脳底動脈左上小脳動脈と前交通動脈にそれぞれ脳動脈瘤が認められた。

Y病院に勤務するY2医師らは、前記各検査結果を総合して、脳底動脈左上小脳動脈瘤が破裂したもので、前交通動脈瘤は未破裂であると診断し、右側の前頭側頭開頭(経シルビウス裂到達路)により、まず脳底動脈左上小脳動脈瘤のネッククリッピング手術を行い、次いで前交通動脈瘤のネッククリッピング手術を行うこと(以下「本件手術」という。)を決定した。

6月24日、執刀医Y2医師、第一助手Y3医師、第二助手N医師の体制で本件手術が開始された。

開頭後、Y2医師が6mmの脳箆で前頭葉と側頭葉を圧排すると、右後大脳動脈、右上小脳動脈の一部が見えたが、脳底部動脈瘤、左上小脳動脈はその時点では確認できなかった。右後交通動脈部と右内頸動脈分岐部の拡張と動脈瘤様に壁が薄くなっていた。また内頸動脈本幹は黄色を呈し動脈硬化が進んでいる所見が認められた。

そこで、5本の動脈(両側後大脳動脈、両側上小脳動脈、脳底動脈)と動脈瘤の位置を確認するために、内頸動脈を脳箆にて牽引しているときに前床突起部結合織の所の内頸動脈前外側部壁より多量の出血を来し、血圧が急低下してショック状態となった。吸引をしながら、前床突起を削り、テンポラリークリップ(一時遮断用の長いクリップ)2本を使用し、内頸動脈の出血部をクリップしたところ、出血は止まった。

Y2医師らは、出血部位を直ちに修復すると、修復用のクリップが術野の妨げとなり、破裂動脈瘤と診断された脳底動脈左上小脳動脈瘤のネッククリッピング手術ができなくなること、出血部位の修復を後回しに(内頸動脈の血流遮断を継続)しても、術前撮影の結果により側副血行が十分であると診断していたので、脳血管の血流は確保されると見込まれたこと、以上の理由により、出血部位の修復を後回しにして脳底部の動脈瘤の処置を行うこととした。動脈瘤の処置にあたり、動脈瘤と前記5本の血管を確認するのに前記テンポラリークリップや後床突起が術野の妨げとなることから、術野確保のために後床突起をエアバーで削除した後、動脈瘤頚部の剥離を行い、ネッククリッピングを行った。左脳底上小脳動脈分岐部の動脈瘤は、小さく、いくらか赤味が認められたが、術前診断と異なり、未破裂の脳動脈瘤であった。

Y2医師らは、脳底動脈左上小脳動脈瘤が未破裂であることが判明したことにより、前交通動脈瘤が破裂脳動脈瘤と考えられたことから、脳底動脈左上小脳動脈瘤のネッククリッピング手術に引き続いて、前交通動脈部の脳動脈瘤に対して措置を行うこととした。その脳動脈瘤は前大脳動脈A1、A2移行部に存在しており、前交通動脈の後側に位置していた。そして、脳動脈瘤は、術前診断と異なり、破裂脳動脈瘤であった。前交通動脈瘤は処置中に再破裂した。動脈瘤はネッククリッピングするほどの頚がなく、無理にクリップすれば前大脳動脈A1、A2が狭窄を来し、血流が保たれなくなると考えられたため、動脈瘤を前交通動脈と一緒にクリップした。

以上のとおり2個の動脈瘤の処置が終了したので、内頸動脈の修復にかかった。前床突起部をエアバーで削り、前記2本のクリップのさらに中枢側をテンポラリークリップでクリップした後、ハイフェッツのクリップ及びオキシセルを使用し内頸動脈の出血部位を覆ってクリップする方法(被覆型ハイフェッツクリップ)を選択施行した。

その後に一時遮断用に使用した3本のテンポラリークリップ(内頸動脈末梢側、後交通動脈部、内頸動脈中枢側)を外した。テンポラリークリップで内頸動脈血流を遮断していた時間は、135分であった。

Aは、本件手術後、意識レベル30~、左方麻痺が認められ、CTスキャンで中大脳動脈領域の脳梗塞が出現し、その後脳腫脹は進行し脳嵌頓を生じ、7月6日、死亡した。

脳腫脹が出現進行した主たる原因は、前記テンポラリークリップで内頸動脈の血流を遮断していた間の側副血行が、Y2医師の診断と異なり十分でなかったことによるものである。

そこで、Aの遺族であるX(Aの夫)は、Y病院医師らには、内頸動脈を損傷させた過失や、損傷された内頸動脈を長時間遮断させたままにした過失があったなどと主張して、Y1市、Y2医師、Y3医師に対して損害賠償請求をした。

(損害賠償請求)

請求額:
3611万6515円
(内訳:葬儀費120万円+逸失利益4903万3030円+死亡慰謝料2200万円の合計額のうちX相続分である2分の1相当額)

(裁判所の認容額)

認容額:
2628万8746円
(内訳:葬儀費120万円+逸失利益2937万7492円+死亡慰謝料2200万円の合計額のうちX相続分である2分の1相当額)

(裁判所の判断)

1 内頸動脈を損傷させた過失の有無

この点に関し、裁判所は、Y2医師らが本件手術に際し開頭方法として採用した経シルビウス裂到達路は、経側頭葉下面到達路と並んで脳底動脈動脈瘤の手術における標準的な開頭方法であるが、この方法の場合、シルビウス裂を開き前頭葉と側頭葉を圧迫しただけでは内頸動脈・中大脳動脈起始部が外側に突出しているため脳底動脈分岐部は直視下に入ってこず、ここで内頸動脈または中大脳動脈起始部を内側へ先細脳箆で圧迫することにより、動眼神経の内側との間に十分な空間が得られる。この内頸または中大脳動脈の内側への圧迫がこの到達法の要点の第一であるが、どの程度までの圧迫が生理的範囲として許容されるものかは、現時点では"経験的なもの"としか判断できないと指摘されていると判示しました。

さらに、鑑定結果から、本件手術時において内頸動脈が裂けたのは、脳箆による内頸動脈損傷が原因であり、その要因として内頸動脈の動脈硬化性変化による脆弱性が挙げられるとしました。また、脳箆で内頸動脈を内側に牽引し、術野を確保することは多くの脳神経外科医が行っている方法であるが、内頸動脈の動脈硬化性変化が強い場合は危険な操作でもあり、より慎重な操作が必要となると判示しました。

また、Y2医師は、内頸動脈の牽引に先立ち、Aの内頸動脈本幹が黄色を呈し動脈硬化が進んでいる所見を認めていたと指摘しました。

裁判所は、以上によれば、Y2医師は、内頸動脈牽引に際してより慎重な操作をすべきであったのにこれを怠り、許容範囲以上の圧迫を加えたため、損傷を生じさせた過失があると認められるのが相当であると判断しました。

2 損傷された内頸動脈を長時間遮断させたままにした過失の有無

この点に関し、裁判所は、Y2医師らは、内頸動脈損傷後、側副血行が十分であるとの診断に基づき、内頸動脈をテンポラリークリップでクリップして脳動脈瘤のネッククリッピング手術を継続したが、この間の側副血行が十分でなかったため、術後脳浮腫が出現進行し、Aが死亡するに至ったものであると判示しました。また、Y2医師らは、内頸動脈損傷後、内頸動脈をクリップして破裂脳動脈瘤と診断されていた脳底動脈左上位小脳動脈瘤のネッククリッピング手術を行ったが、これは十分な側副血行があると診断される場合にのみ許容される手術順序であり、そうでない場合は、第一に止血、次に内頸動脈血行再建を考慮すべきであると指摘しました。

さらに、裁判所は、Y2医師らは、術前撮影の結果から側副血行が十分であると診断したものであるが、鑑定人の所見では前記検査結果からは側副血行が十分であるとは診断できず、むしろ不十分であると診断すべきであるとしていると指摘しました。また、側副血行の有無を確認するためには、内頸動脈撮影時に内頸動脈を圧迫して血流の状態を調べる検査(マタステスト)及び椎骨動脈撮影時に内頸動脈を圧迫して血流の状態を調べる検査(アルコックテスト)が有効な検査であるが、Y2医師らは、本件手術の際に内頸動脈損傷という事態が生じることを予想していなかったため、術前の撮影の際にこれらの検査を実施していなかったとも指摘しました。

本件では内頸動脈損傷後多量の出血があり、血圧が低下してショック状態となったが、このような状態では脳灌流障害は更に強調されたと思われると認定しました。

裁判所は、以上によれば、Y2医師らは、内頸動脈損傷後、まず内頸動脈血行再建を最優先で行うべき義務があったのにこれを怠り、血行再建を後回しにしてネッククリッピング手術を行った過失があると判断しました。

裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、その後控訴が棄却されて判決が確定しました。

カテゴリ: 2018年11月 8日
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