医療判決紹介:最新記事

No.433 「フルマウスリハビリテーション術について歯科医師の説明義務違反を認めた地裁判決」

東京地裁平成12年12月8日 判例タイムズ1108号225頁

(争点)

  1. 治療方法選択の誤りの有無
  2. 説明義務違反の有無

(事案)

X(女性)は、平成4年5月1日、数年前から顕著になってきた下顎中切歯(前歯の中心に位置する2本の切歯)間の隙間などについて審美的改善を行いたいと考え、Y歯科医院において歯科医師Yの診察を受け、その際、Yに対し、右の隙間や左右の臼歯部に高低差があり咬み合わせが悪いことなどを訴え、歯並びについて審美的改善を行いたいという希望を伝えた。

Yは、Aの口腔内エックス線撮影を行うとともに口腔内模型を作成し、また、下顎右側最後臼歯に慢性化膿性歯根膜炎があることを発見したため、Xに対し、Xの希望する審美的な改善を行う前に、まず歯根膜炎の治療を行う必要があることを説明し、Xはこれを承諾した。

Xは、歯根膜炎の治療を受けていた平成4年5,6月ころ、口の開閉時に顎関節付近に痛みを感じ、口の開閉が困難になったため、Yに症状を訴えた。Yは、同年6月4日、Xを診察し、開口量が上下顎前歯部切端間で2センチ7ミリメートルしないことを確認し、Xの下顎関節頭の形態が正常な円形ではなく顎関節症になりやすい器質をもっていること、プラキシズム(歯ぎしり)及び咬合不良により顎関節に負担がかかる状態にあることなどを総合考慮して、顎関節症が発症したと診断し、その旨をXに告げた。

Yは、Xの顎関節症の治療のため、平成4年6月4日からスプリントの装着による治療を行い、その結果、同年7月3日は、開口量が4センチ4ミリメートルとなりほぼ正常な状態にまで回復した。しかし、Yは、スプリントを外すと開口障害が再発するおそれがあるため、その装着を継続する必要があると判断し、スプリントの装着を継続したままで歯根膜炎の治療を行うとともに、レジンの添加等により、スプリントの左右高低差を改善するための咬合調整を続けた。

Xは、スプリントの装着後、食事中を除いて常にこれを装着していなければならないことを煩わしく思い、スプリント装着以外の治療方法を尋ねた。

そこで、Yは、Xに対し、フルマウスリハビリテーション術(別名オーラルリハビリテーション又はオクル―ザル・リコンストラクション。自然歯の上に咬合的にも審美的にも理想的な人工の歯冠修復物を被せることにより全顎的な咬合の再構成を行うものであり、当時、歯科医師の間で、そしゃく機能障害、咬合平面の喪失、顎間垂直距離の回復、歯周疾患、審美性の改善などに対する治療方法の一つとして認知されており、咬合異常や審美性の改善のための治療として同施術を行った事例が審美歯科医療に関する文献等において紹介されていた)があること及びその費用が約200万円であることを説明した。

平成4年秋ころ、Xは、Yの勧めで、Y医院においてYが当時指導を受けていたH歯科医師(咬合治療を専門とし、多くの症例に対してフルマウスリハビリテーション術を行った経験を有する)の診察を受け、H医師から体のバランスの悪さは咬合の悪さからきていると説明された。

H医師の診察後も、YはXにフルマウスリハビリテーション術の説明を何度か行った。

そこで、Xは、平成4年末ころ、フルマウスリハビリテーション術を受けることを承諾した。

Yは平成5年1月26日から同年4月14日にかけて5回にわけて上下合計9本の前歯について麻酔をした上で抜髄し、まず上顎について、同年6月23日から7月21日にかけて、歯の軸となる金属製の心棒を従前よりも歯が垂直になるような角度で抜髄した部分に差し込み、連結すべき歯の歯冠を心棒の周辺部分を残し、外側に飛び出した部分を削り取った上で、審美的にも機能的にも最善の咬合になるような形態の歯冠修復物を歯冠に装着し、最後臼歯2本を除く12本の歯を連結した。Yは、次に同年8月12日から同年9月7日にかけて、下顎についても同様の処置を行い、最後臼歯2本を除く11本の歯を連結した。

Xは、Yに対し、本件治療の治療費として平成5年7月2日及び同年8月27日にそれぞれ90万6400円合計181万2800円を支払った。

本件治療後も、Xは6か月ごとの定期健診や咬合調整のためにY医院に通院した。また平成7年8月にXが咬合時に鈍痛があると訴えたため、Yはプラキシズム防止のためソフトスプリントを装着した。

Xはその後も3,4カ月に1度の割合でY医院に通院し、咬合調整や歯石の除去を受けていたが、平成9年5月12日、右下顎に歯肉増殖による歯周ポケットが認められたので、Yは歯肉切除の手術を行い、さらに同年7月24日、XがYに対し咬合時に右下顎の痛みがあり、押すと痛いと訴えたため、Yが診察したところ、下顎右臼歯に慢性化膿性歯根膜炎の症状が発見されたため、Yは洗浄投薬の治療を行った。

しかし、XはYの診察に対して不信感を抱くようになり、平成9年8月1日を最後にY医院への通院を中止した。

その後、XはYに対し、治療方法選択の誤りや説明義務違反に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。

(損害賠償請求)

請求額:
731万2800円
(内訳:不明)

(裁判所の認容額)

認容額:
231万2800円
(内訳:治療費181万2800円+慰謝料30万円+弁護士費用20万円)

(裁判所の判断)

1 治療方法選択の誤りの有無

この点につき、裁判所は、フルマウスリハビリテーション術は、咬合異常や審美性の改善のために咬合の再構成を行う治療であるところ、Yは、同施術により、Xの開咬を改善し、その審美的改善についての要望を満たし、かつ、本件治療を行う前にはスプリントの装着によって顎関節症の再発を防止していたが、咬合が改善されれば顎への負担が減り、顎関節症の再発防止にもつながる効果があるという判断の下に、Xに対し、フルマウスリハビリテーション術を提案したこと、現実に本件治療によって開咬が改善されたことが認められると判示しました。

そうすると、本件治療が顎関節症の治療のみを目的として行われたものであることを前提として、YがXに対してフルマウスリハビリテーション術を勧め、本件治療を行ったことに過失があるとするXの主張は理由がなく、また、当時のXの症状(特に開咬等の咬合不良の症状)や本件治療の効果をみれば、フルマウスリハビリテーションの一般的治療内容及び効用に照らし、YがXに対し本件治療を行ったこと自体がXの症状に対する治療方法として明らかに不適切であったと評価することはできないと判示し、治療方法選択の誤りについては否定しました。

2 説明義務違反の有無

この点につき、裁判所は、Xは、初診の際には主として歯並びの審美的改善を求めていたとはいえ、初診の際に発見された歯根膜炎の治療中に開口障害が発生したという経過の下で、Yは、Xから、顎関節症に対するスプリントによる治療中にこれ以外の治療方法の存否を尋ねられたのであるから、Xがその時点では審美的改善よりも現実に発生している身体的苦痛を解消するために必要な医学的処置を求めていると認識できる状況であったにもかかわらず、Yは、Xに対し、顎関節症の治療のためだけであればフルマウスリハビリテーション術を行う必要はないことについては明確な説明をしなかったため、Xは、Yから顎関節症を根本的に治療するための方法として同施術を勧められたものと誤解し、Yに対し本件治療を受けることを承諾したことが認められると判示しました。

そうすると、本件治療は、特に疾患のない9本の歯について抜髄し、歯冠修復物を被せる歯については歯冠のかなりの部分を削り取るという侵襲性の高い、不可逆的な治療方法であること、その費用もXにとっては高額なものであったこと、Xが開口障害発生前にYから審美的改善のための矯正治療を紹介された際にはこれを希望していなかったことに照らすと、仮に、Yが顎関節症の治療のためだけであればフルマウスリハビリテーション術をする必要はなく、むしろYが同施術を提案する理由が主として開咬等を審美的に改善することにあることを説明していれば、Xは本件治療を受けることを承諾しなかった蓋然性が高かったというべきであると判示しました。

そして、本件においては、Xは、本件治療の目的、これが提案された理由及びその必要性についてのYの説明が不十分、不明確であったために、必ずしも顎関節症の治療に必要だったとはいえない本件治療について、その目的や必要性を正しく認識することができないまま、これを受けることを承諾にするに至ったのであるから、Yは、不可逆的侵襲を伴う本件治療を、Xの正しい認識に基づく有効な承諾を得ないで行ったものであり、本件治療は、違法性阻却事由を欠く肉体的侵襲であると評価せざるを得ないと判断しました。

裁判所は、Yは、本件治療を行うにあたり、Xから有効な承諾を得るために行うべき本件治療の目的や必要性についての明確で十分な説明を怠り、本件治療の目的や必要性についての正しい知識に基づくXの有効な承諾を得ることなく本件治療を行ったものといわざるを得ないから、YはXに対しXがこれにより被った損害を賠償すべき義務を負うと判示しました。

以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、この判決に対しては控訴がされましたが、控訴審で和解が成立して裁判は終了しました。

カテゴリ: 2021年6月10日
ページの先頭へ