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No.458「肩こり等の治療のため、局所浸潤麻酔注射を受けた患者が注射直後に意識喪失、心肺機能停止に陥りその後死亡。医師に注射施術上の過失等を認めた地裁判決」

大津地方裁判所平成8年9月9日判決 判例タイムズ933号195頁

(争点)

注射の施術上の過失の有無

※以下、原告を◇、被告を△と表記する。

(事案)

A(死亡時58歳の主婦)は、平成2年9月3日、△医師が内科、胃腸器科、循環器科の看板を掲げて経営する医院(以下「△医院」という。)を初めて受診し、右坐骨神経痛、腰痛症の診断を受けた。この受診時に、Aは、問診票に、これまでに薬や注射で異常のあったことはない旨回答した。

その後、平成3年7月29日までの間に、Aは、△医院を9回受診し、感冒、慢性胃腸炎、肩関節周囲炎(左)、急性上気道炎、アレルギー性鼻炎の診断を受けた。

同年3月25日の受診時には、Aは左肩と肩関節の凝りと痛み及び左上前腕のしびれ感を訴えたが、診察の結果片側神経障害はなく、深部知覚反射の異常もなかったので、△医師は、消炎鎮痛剤とその座薬、ローション、湿布等を処方した。

同年5月13日にも、Aは、左肩の凝り等上記と同様の症状を訴えて、△医院に来院し、△医師は、消炎鎮痛剤等の上記と同様の処方投与をしたところ、Aは、その後、左肩の凝りを訴えて来院することはなかった。

同年7月29日午後5時30分頃、Aは、△医院に来院し、△医師が問診したところ、Aは,感冒様の症状や発熱はないと答え、右側頸部から下後頭部にかけての痛み、凝り、膝関節痛(特に左側で、変形あり)を訴えた。Aは、前日、他の整骨院に行って加療してもらったが改善しないので△医院に来院したとのことであった。△医師は、診察及び問診の結果、大後頭部神経痛、頸椎症、変形性膝関節症と診断した。そこで、△医師は、「どうしても良くならないのなら、又、うずく程痛いのなら、局所麻酔的で一時的ですが局所注射という方法はありますが、どうされますか。今も他に何人か同様の注射を継続して行っている患者さんもおられますが。」と言ったところ、Aは、「それで良くなるなら一度してもらいましょうかね。」と局所注射を行うことに同意した。

そこで、△医師は、午後5時40分ころから、常勤している看護師1名の介助の下、1パーセントキシロカイン(局所麻酔薬)5ミリリットル、ノイロトロピン特号(抗アレルギー剤)3ミリリットル、ヌトラーゼ(ビタミン剤)20ミリグラムの混合液約9ミリリットルをAの首筋に注入する局所注射を施行した(以下、「本件注射」という)。この時、△医院には、△医師及び上記看護師以外に、医師、看護師等の医療従事者はいなかった。

△医師は、Aを椅子に腰掛けさせて、背後に座り、Aに頭を前にかがめて頸部を突き出すような姿勢をとらせ、首筋のおおよそ第4から第6頸椎の間くらいの高さでその右外側約2.5センチメートルの部位に、注射針を刺入した。

△医師が最初に注射針を刺入した時、Aは、「痛い」と言い、その声は、△医院の待合室にいた他の患者にも聞こえた。△医師は、この痛みは注射針が骨、すなわち頸椎横突起に当たったためであると考え、その位置から注射針を2,3ミリメートル引き抜いたところで約1ミリリットルの薬液を注入し、そこで針の方向を変え、血液の逆流の有無を確認しながら、針を上下に向けたり、横に向けたりしながら、適当と思われる部位に、大体5,6回に分けて注射液を浸潤させていった。注射針は、23ゲージ長さ約5センチメートルのものが使用され、注射は約3分ないし4分かけて行われた。

△医師は、体内に入っている針の長さを測定していなかったが、最初に刺入したときに針は手元に1ないし1.5センチメートルは余っていたという印象であった。

△医師は、注射中、何回も薬液の注入を中断した上、「気分悪くはないか。フーとしませんか。」とAに問いかけたが、Aから何の訴えもなかった。

△は、注射後、薬液をしみわたらせるために、アルコールをしみこませた綿で、注射した部位あたりを揉んだ。

注射終了後、2,3分して、Aは、右肩、右上腕のしびれを訴え、すぐそばのベッドにまで歩いて行き、横になった。△医師は、すぐに血管確保をして点滴を始めた。その時の、血圧値は、上が210、下が120であったが(Aの血圧通常値は上が140台、下が80台)、Aは顔面蒼白となり、頻回の血圧を測っている内に、血圧は、上の値が、170ないし180、120、100と急速に下降した。△医師は、血圧の上の値が110から120の時点で、抗ショック剤のステロイドホルモンのソルメドロール(250ミリグラム)1バイアルを測注(静脈注射)し、エチホール(昇圧剤)1アンプルを測注、同2アンプルを点滴内に追加したが、その後も血圧は低下した。

Aは、上記施術中「右手がしびれる。気分が悪い。苦しい。」と訴えながら、次第に呼吸が弱くなっていったが、△医師が胸の聴診をしたところ、特に雑音はなかった。しかし、Aの意識状態は急速に悪化し、そのうち呼吸が停止し,心臓の動きも止まった。△医師はソルメドロール2バイアルを追加側注、呼吸促進剤テラプチク1ないし2アンプル、メイロン(20ミリグラム)1アンプルを測注し、アンビューバッグ(人工呼吸用のエアバッグ)エアウェイを挿入して人工呼吸をし、エホチール、アミノフィリンを側注し、△医師及び看護師で交互に心マッサージをした。

また、△医師は、看護師に救命措置をとらせながらS病院内科に電話で救急搬入依頼をし、病状説明をして、搬入承諾を得た上、午後5時59分に、電話で救急隊に救急要請をした。これら電話に要した時間は5分から10分であった。救急車は午後6時4分に△医院に到着し、Aは、午後6時12分に△医院を出発し、午後6時14分にS病院に到着した。

S病院到着時、Aは、心臓及び呼吸は停止し、瞳孔は散大し、チアノーゼが認められたので、直ちに、同病院で、気管内挿管、人工呼吸器装着、心マッサージ等の処置がとられ、午後7時50分には、弱く浅いながらも自発呼吸が見られたが、Aの脳幹部にはすでに損傷が生じており、植物状態が続いた上、同年8月20日午後11時46分、急性全身性循環不全症を直接死因として死亡した。

そこで、Aの遺族(夫及び子2名)である◇らは、△医師は、本件注射において注射針を脊椎の椎弓板(横突起)に届くまで深く刺入し、その上で上下左右に方向を変えて刺入しているが、この手技の際に神経鞘あるいは髄腔の中に注射液を注入したものであり、その結果、キシロカイン(局所麻酔剤)を含む薬液がくも膜下腔に流入し、頭側に拡散して横隔膜神経に影響を与え、更に意識の維持に寄与している脳幹部で、かつ呼吸、循環中枢がある延髄が麻痺されたため、急速に、呼吸停止、意識消失、ついで心停止が起こったものであり、△医師に注射の施術上の過失があったなどと主張し、△医師に対して、診療契約上の債務不履行に基づき損害賠償請求をした。

(損害賠償請求)

患者遺族の請求額:
5956万9633円
(内訳:逸失利益2156万9633円+慰謝料3000万円+弁護士費用800万円)

(裁判所の認容額)

認容額:
3892万7039円
(内訳:逸失利益1292万7038円+慰謝料2000万円+弁護士費用600万円。相続人が複数のため端数不一致)

(裁判所の判断) 

注射の施術上の過失の有無

裁判所は、まず、Aの心肺停止の原因について、本件注射において、注射針が神経鞘あるいはくも膜下腔内に刺入され、薬液がくも膜下腔に入ってしまったために、Aは、呼吸不全、心臓停止等の状態に陥ってしまったものであると判示しました。

裁判所は、そもそも、深頸部への神経ブロック時に針が神経鞘内に穿刺され、局所麻酔薬が硬膜外やくも膜下に流下して、いわゆる全脊椎麻酔状態(呼吸停止、意識消失など)になったという症例は稀ではなく報告されており、神経ブロック時に誤って脳脊髄液中に局所麻酔薬が注入されることは、鑑定人も月に一度位は経験すると証言している上、文献や資料からも、これが深部頸神経叢ブロック(第二、第三、第四頸椎横突起にブロック針を当てて局所麻酔剤を浸潤させる手技)や星状神経節ブロック(第七頸椎横突起にブロック針を当てて局所麻酔剤を浸潤させる手技)における、代表的な合併症であることが認められると判示しました。

その上で、本件注射における△医師の手技は、△医師自身は、神経ブロックを意図したわけではなく、筋肉内に伝達浸潤麻痺をすることを意図していたとはいえ、手技の客観的な態様は、約5センチメートルもの長さの注射針を用い、第4あるいは第5頸椎の横突起あるいは椎弓板の深さまで注射針を刺入し、若干針を引き戻してから方向を変えて薬液を注入するというものであって、髄腔等が近くに位置するなど解剖学的に複雑な部位である深頸部に局所麻酔薬を注入するという点では、深部頸神経叢ブロックや星状神経節ブロック同様の合併症発生の危険を伴うものであったといわざるをえないとしました。

そして、このような深頸部への局所麻酔注射においては、麻酔注射の手技に熟練していると思われる麻酔科専門医が、危険性の少ないとされている手法を用いて注射を行っても、時として誤ってくも膜下腔等に注射液を注入してしまうことがあるというのであるから、内科を主たる専門とし、ペインクリニックの技術を特に習得したわけでもない△医師が、このような部位に注射を行えば、何らかの拍子にわずかに針先がずれるなどして、針が神経鞘やくも膜下腔等に刺入される事態が生じることは当然予想されるところであると判示しました。

しかも、ペインクリニックの解説書では、深部頸神経叢ブロックを施行するにあたっては、3.2センチメートルの針を使用することとされており、吸引テストを行って何も吸引されない場合にも、くも膜下ブロック(くも膜下腔への麻酔薬の流入)が起こることがあり、くも膜下ブロックを防止するには「針をむやみに深く刺入しないこと、針の刺入方向にも注意して頭側に向けないこと」に注意しなければならないとされていると指摘しました。また、くも膜下等に局所麻酔薬が流入して、意識消失、呼吸停止等の状態になったとしても、直ちに人工呼吸、酸素投与、血圧の維持等の適切な救命措置を行えば、時間の経過とともに局所麻酔薬の作用は消失し、後遺症もなく元通りに回復することが可能であるが、直後に適切な救命措置が採られなかった場合には、脳細胞が酸素不足により壊死するなどして、植物状態や死亡につながる危険性があるとしました。

裁判所は、以上からすれば、△医師には、伝達浸潤麻酔注射を行うに際して、治療上の必要性、自己の麻酔注射の技量、万が一合併症が生じた場合に適切な救命措置を行えるだけの体制が自己の医院において整っているか等を考慮した上、できるだけ全脊椎麻酔等の合併症が発生する危険性の少ない手法を用いるべき診療契約上の注意義務があったというべきであると判示しました。

しかるに、△医師は、深頸部ある特定の神経を狙ってブロック注射をしようとしていたわけではなく、単に筋肉内に浸潤麻酔をしようとしていただけであって、椎弓板や横突起に当たるほどの深さまで針を刺さなければいけない特段の治療上の必要はなかったにもかかわらず、約5センチメートルもの長さの注射針を用い、頸椎の椎弓板あるいは前突起に当たる深さまで針を刺入するという危険性の高い手法を用いたものであって、そのために、神経鞘内に薬液を注入し、あるいは髄腔内に到達した針から薬液を注入して、くも膜下腔に薬液を流入させたことによって全脊椎麻酔状態を引き起こしたのであるから、上記注意義務に反する過失があったといわざるをえないと判断しました。

裁判所は、なお、△医師が本件注射を行うに当たって、最初に注射針を刺入した時に、前結節に当てたのか、あるいは椎弓板に当てたのかが明らかでなく、薬液がくも膜下腔に流入した原因についても、神経鞘内に達した注射針から注入した可能性と椎間孔内に刺入された注射針から注入されクモ膜下腔に達した可能性があり、△医師が行った手技を明確に特定することはできないといわざるを得ないとしました。しかし、△医師の行った手技が上記のいずれであったとしても、本件注射においては全脊椎麻酔を生じさせる危険性の高い手技を行った過失があったといえ、伝達浸潤麻痺注射を行うに当たっての過失として特定できたものと考えるのが相当であるとしました。

また、△医師の本件注射を行う際の過失によって、Aを全脊椎麻酔の状態、すなわち意識消失、呼吸停止に陥らせ、△医院での応急処置やS病院での治療にも拘わらず、植物状態から死亡させるに至ったのであり、△医師に救命措置上の過失がなかったとしても、Aが当然に救命されたとはいえないことからしても、上記施術上の過失とAの死亡には因果関係があると判断しました。

以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2022年7月 8日
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