医療判決紹介:最新記事

No.408 「癒着胎盤にもかかわらず、分娩直後に胎盤を用手剥離した結果、患者に下垂体前葉機能低下症(シーハン症候群)の後遺障害が残存。病院に損害賠償を命じた地裁判決」

神戸地方裁判所平29年5月23日判決 判例タイムズNo.1468 225頁

(争点)

  1. 用手剥離における注意義務違反の有無
  2. 用手剥離における注意義務違反とシーハン症候群発症との因果関係の有無
  3. 患者の後遺障害の程度

(事案)

X(昭和46年生まれの女性)は、平成18年4月26日、卵巣チョコレート嚢胞、子宮内膜症の診断で、腹腔鏡下卵巣嚢胞種核出術を受けた。

Xは、平成20年4月19日、不妊治療を行っていたAクリニックにおいて、体外受精により妊娠したことから、同クリニックからの周産期管理を目的とする紹介状を持ってY医療法人社団が経営するクリニック(以下、「Y病院」という。)を初めて受診した。その際、34歳で子宮内膜症、骨盤内癒着で手術を受けた旨申告した。

Xは、平成20年11月19日9時50分(以下、時間については、24時間表記で記載する。また、同日のことを、以下「本件当日」ともいう。)、Y病院において、自然分娩により男児を出産した。

Y病院の代表者理事長であるZ医師は、9時50分頃に胎児が娩出し、臍帯切断後、片方の手で臍帯を牽引し、9時55分頃から、他方の手で体の外から子宮をマッサージした。しかし、それによっても胎盤の剥離徴候がなかったことから、Z医師は、ブラントアンドリュース法(片方の手指で膣入口付近の臍帯を持ち、他方の手指を揃えて腹壁上より子宮下部付近に圧入し、臍帯を軽く牽引する胎盤娩出法)で胎盤の剥離を促したが、それでも胎盤は剥離せず、出血量が増えてきたため、10時00分頃、用手剥離することにした。

Z医師は、用手剥離中、胎盤が容易に剥がれないような感覚がした。

本件当日付けのZ医師による「母体(緊急搬送・外来紹介)情報提供書」には、癒着胎盤と記載され、Y病院の入院カルテには、「胎盤癒着」「胎盤遺残」と記載されていた。Y病院の分娩記録には、胎盤の状態として、欠損があり、「ボロボロ」「欠損部残部なく排出すみ細かい部分は不明」と記載されていた。

17時35分までのXの出血量は、合計3590gであった。

Xは、本件当日、B病院に搬送され、同病院のB医師はXの経膣超音波検査を実施するとともに、子宮動脈塞栓術の緊急手術を施行した。B医師は、同施術施行後の同日の診療録に、子宮底に腫瘤がある旨記載した。

B医師は、平成20年11月20日の経膣超音波検査の結果を踏まえた診療録の所見には、子宮底に腫瘤、子宮底左側に胎盤遺残がある旨記載した。

B医師は、同月25日、経膣超音波検査の結果を踏まえた子宮の図を診療録に手書きし、その図に矢印を引き、血腫との記載と、その右横の部分につき「pl?」と記載した。plとは胎盤の意味である。

B医師は、同年12月2日、経膣超音波検査の結果をもとに、子宮の図を診療録に手書きし、その中の一部分に血腫の記載をし、その左横に「pl」と記載した。

B医師は、同月3日、Z医師に当てた返書において、傷病名として胎盤遺残と記載し、また、本文中にも「当科にて遺残胎盤の経過を見ると同時に」と、遺残胎盤があることを前提にした記載をした。

B病院の診療録(周産期サマリー)には、「産褥5日目頃より乳房緊満の消失、Na低下ありSheehan症候群であった」と記載されていた。

Xは、平成20年12月4日にB病院を退院したが、広汎に脳下垂体前葉の機能が低下する障害が残り、分娩後の大量出血に起因するシーハン症候群(分娩時の大出血又はショックにより、下垂体血管に攣縮及び二次的血栓が生じて下垂体の梗塞、壊死が起こり、これにより下垂体前葉機能低下症を呈した病態)と診断された。

その後の経過は下記のとおりであった。

B医師は、同月19日、超音波検査を実施し、その結果をもとに診療録に子宮の図を手書きし、その内部について、血腫を記載し、その左横に胎盤を記載した。

B医師は、平成21年1月9日の経膣超音波検査の結果、血腫は小さくなってきており、遺残胎盤は2cmである旨の所見を診療録に記載した。

B医師は、同年5月29日のMRIの結果、明らかな遺残胎盤なしとの所見をMRI検査報告書に記載した。

そこで、Xは、胎盤癒着があったにもかかわらず、Y病院の医師が分娩直後にXの胎盤を用手剥離した過失ないし分娩後に大量に出血したXを高次医療機関に搬送しなかった過失により、下垂体前葉機能低下症(シーハン症候群)の後遺障害が残存したと主張して、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求をした。

(損害賠償請求)

患者の請求額:
6433万0920円
(内訳:治療費69万4900円+将来の治療費221万6152円+入院雑費2万4000円+通院交通費25万4615円+後遺症による逸失利益3960万9075円+慰謝料1556万円+弁護士費用580万円。以上合計6415万8742円。請求の拡張後、将来の治療費が減額されたため、請求額とは一致しない。)

(裁判所の認容額)

認容額:
4014万2867円
(内訳:治療費196万0146円+入院雑費2万4000円+通院交通費14万7726円+後遺症による逸失利益2421万0995円+入院慰謝料15万円+後遺症慰謝料1000万円+弁護士費用365万円)

(裁判所の判断)

1. 用手剥離における注意義務違反の有無

この点について、裁判所は、産科医師としては、胎児娩出後30分経過しても胎盤が娩出されない場合には、付着胎盤又は癒着胎盤を疑い、輸血の準備やバイタルサインのチェック、血液型の検査など全身状態の把握と検査、血管確保を行った上で、胎盤娩出促進法を行うべきものといえるとしました。そして、それでも胎盤剥離徴候が見られない場合には、癒着胎盤のリスク因子の有無にかかわらず、超音波断層法を行って癒着胎盤か否かを確認する必要があるとしました。特にXは、高齢妊娠というリスク因子を有していたのであるから、Z医師は、癒着胎盤の可能性も念頭におき、上記のような手順を経て、胎盤の剥離を試みるべき注意義務を負っていたものと認めるのが相当であると判示しました。

しかるに、Z医師は、胎児娩出(9時50分)後30分の経過を待つことなく、胎児娩出後数分程度で子宮のマッサージを行い、胎盤剥離徴候が見られなかったため、ブラントアンドリュース法による胎盤圧出法及び臍帯牽引を試みたものの、胎盤が娩出せず、その間出血が増加したこともあり、超音波断層法を行うこともなくわずか10分後(10時00分頃)には用手剥離に着手し、胎児分娩から17分後(10時07分)には、胎盤娩出に至っている。

これらのことからすれば、Z医師は、通常認められるような胎盤剥離徴候が認められない場合に、上記のような胎盤娩出後30分の経過を待つことなく、わずか数分後には胎盤剥離に向けた行為(マッサージ)を開始し、その後も輸血の準備等の必要な準備をすることなく、必要とされる超音波断層法も行わないなど、癒着胎盤の可能性を念頭においた必要な手順を経て胎盤の剥離を試みるべき注意義務に反し、これら手続を経ないまま用手剥離を行った過失が存すると判示しました。

また、Z医師は、用手剥離中、胎盤が用意にはがれないような感覚をもったことから、遅くともその時点では癒着胎盤である具体的可能性を認識していたといえ、そうである以上、剥離部分からの止血不能の大出血を避けるため、直ちに用手剥離を中止すべき注意義務が存したにも関わらず、漫然と用手剥離を続行し、胎盤を強引に剥離した過失が存すると判示しました。

裁判所は、以上のとおり、Z医師には、用手剥離における注意義務違反が認められるとしました。

2. 用手剥離における注意義務違反とシーハン症候群発症との因果関係の有無

この点について、裁判所は、シーハン症候群は分娩時の大出血又はショックにより生じる病態であるところ、Xは、胎盤娩出から17時35分までの間に3590gもの大出血を来しているのであるから、かかる出血がシーハン症候群の原因と認められるとしました。

そして、癒着胎盤であるにもかかわらず強引な用手剥離をしたこと以外に上記のような大出血の合理的な理由は見出し難いことからすると、Z医師による用手剥離における注意義務違反とシーハン症候群発症との因果関係が認められると判示しました。

3. 患者の後遺障害の程度

この点につき、まず、裁判所は、Xが訴える全身倦怠感、気力・体力低下、筋力低下は、シーハン症候群の主要臨床症状と認められ、Xに生じている各症状は、シーハン症候群によるものと認めるのが相当であると判示しました。

その上で、シーハン症候群にかかる下垂体は、脳に接して、脳の直下(腹側)に存在する内分泌器官であることからすると、シーハン症候群に基づく障害について、脳の障害(神経系統の機能の障害)とも、胸腹部臓器の機能の障害ともいい難いが、これらに類するものとして検討するのが相当であるとしました。そうすると、その障害の程度が、「軽易な労務以外の労務に服することができない」程度に至っておれば、後遺障害別等級第7級相当の障害といえるのに対し、「服することができる労務が相当な程度に制限される」に止まる場合は、第9級相当の障害といえるとしました。

Xは、本件当日までは健康で、スポーツを楽しむなど、活発に行動していたことが認められるところ、Xの活動内容は、大幅に制限されているものと言えるとしました。そして、稼働能力については、平成24年7月15日付けの診断書では、軽作業は可能(デスクワークが望ましい)、フルタイムは無理、パートで4時間未満、休憩が必要とされており、かかる診断内容は、Xの日常生活の状況からも首肯し得るところであるとしました。以上のように、Xの日常生活にかかる活動内容は大幅に制限されていることや、Xの稼働能力についての診断結果に照らせば、Xの労働能力は、「服することができる労務が相当な程度に制限される」程度(9級相当)を超えて失われているものと認められるとしました。

一方で、Xは、できる範囲がかなり制限され、休憩等をとりつつ時間をかけて行う必要があり、また、夫の協力を得る必要がある部分も存するものの、それを超えて親族等の協力を得たり、家事代行サービスを利用したり等する必要まではなく、自ら家事等を行うこともできている状況にあることに照らせば、Xの稼働能力が、「軽易な労務以外の労務に服することができない」程度(第7級相当)にまで至っているものとまで認めることはできないとしました。

これらからすれば、Xの労働能力の喪失率は、後遺障害別等級の第8級に相当する程度(労働能力喪失率45%)であると認めるのが相当であるとしました。

裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2020年6月10日
ページの先頭へ