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No.167 「治療により身体障害1級の後遺症が残った患者が診療録等を示しながらの顛末報告を病院に求めたが、病院は報告をしなかった。病院の診療録等に基づいて顛末を報告する義務違反を認め、患者の慰謝料請求を認めた地裁判決」

大阪地裁平成20年2月21日判決 医療判例解説24号16頁

(争点)

  1. 病院は患者に対し診療契約上の付随義務として診療録等の開示義務を負うか
  2. 病院は患者に対し診療録等に基づいて顛末を報告する義務を負うか
  3. 病院に顛末を報告する義務違反があったか

(事案)

X(男性)は、舌白板症と診断され、平成3年4月22日から定期的にY大学歯学部付属病院(以下、Y病院)に通院していたが、平成4年1月30日、転移癌の疑いがあるとしてY病院に入院した。Y病院は当初は国が開設していたが、平成16年に独立行政法人Yに権利義務が承継された。Xは、同年2月4日に左全頸部郭清術及び左下顎骨部分切除の手術を受け、この際、扁平上皮癌との診断を受け、同月24日から同年4月20日までの間、切除部位付近の癌根絶及び再発防止の目的から、放射線照射の治療を受け、また、これとともに化学療法を受けた。

Xは、上記手術及びその後の治療により経口摂取ができなくなり、また、同年秋ころから放射線障害による組織の壊死等が生じたために口腔内出血を繰り返し、放射線性骨髄炎を合併し、下額骨壊死が進行した。このため、Xは、同年9月から同年11月までの間、合計4回にわたってY病院に入院し治療を受けた。

その後、Xは、平成6年4月から平成7年8月までの間、下顎部の再建等を目的として9回にわたり下顎骨区域切除術及び下顎骨再建術等の手術を受けたものの、所期の効果が得られず、顔面が潰れ、気管孔となり、舌根沈下とともに舌が収縮し、神経損傷も加わって嗅覚及び味覚を喪失するなどした。Xは、平成8年11月27日、Y病院の受診を終了した(以下、本件診療)。そして、Xは、平成9年7月ころ、音声・言語機能障害、咀嚼機能障害、肩関節機能障害、股関節機能障害、呼吸器機能障害により、身体障害1級と認定されるに至った。

Xは、平成9年、大阪地方裁判所に対し、本件診療に際して作成された医療記録等について証拠保全の申立てを行い、同年2月12日、Y病院において証拠保全手続が行われ、Y病院は、本件診療に関する医療記録等を裁判所に提示した(以下、本件証拠保全手続)。

 Xは、平成10年9月11日、本件診療に関してY病院に過失があったとして、大阪地方裁判所に対し、不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起したが(以下、別件訴訟)、同裁判所は、Xの請求を棄却し、控訴審裁判所も控訴を棄却した。

Xは、この間、Yに対し、再三にわたり、診療録等を開示して本件診療の顛末を明らかにするよう求めていたが、開示はされなかった。そこで、Xは、別件訴訟の控訴審判決言渡前の平成16年7月22日、Yに対し、診療契約上の付随義務である診療録等の開示義務違反、診療契約上の顛末報告義務違反を理由に、診療契約の債務不履行、又は、人格権侵害の不法行為に基づき、損害賠償を求めて本件訴訟を提起した。なお、別件訴訟はXの敗訴がその後に確定している。

(損害賠償請求額)

患者の請求額 :1700万円
(内訳:精神的苦痛に対する慰謝料1250万円+医学文献の購入費60万円+私的鑑定書作成費用120万円+裁判所鑑定費用70万円+弁護士費用200万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額 :30万円
(内訳:精神的苦痛に対する慰謝料30万円)

(裁判所の判断)

病院は患者に対し診療契約上の付随義務として診療録等の開示義務を負うか

この点について裁判所は、まず、医師らの診療行為は、診察、検査、診断及び治療等の行為を含む継続的な過程であり、患者の症状の経過を観察しつつ互いに関連性を有する個々の行為が合目的的に積み重ねられてゆくものであることから、医師らは患者の経過を把握していなければ適切な治療を行うことができない上、医師らは通常は多数の患者を同時並行的に診療しているのであるから、医師らが診療契約に基づいて適切な診療を行うためには、個々の患者ごとに診療経過を明らかにした記録を作成する必要が生じると考えられる、と判示しました。そして、患者としても、医師らに対し、上記のような記録を作成してこれに基づいて適切な診療が行われることを求めているはずであるから、医師らは、診療契約上も、患者に対し、上記の診療経過を明らかにした記録を作成し保存する義務を負っている、と判断しました。

しかし、作成・保存義務は、適正診療の確保の手段としてのものにすぎないから、患者側から医師らに対し、診療契約上、説明義務等の一環として診療録等を示しながら説明するよう求めることができる場合は別として、説明義務等とは別個独立の一般的な権利として、診療録等の開示を求めることはできない、と判示しました。

なお、医師法24条に定められている診療録等の5年間の保存義務については、その趣旨が、診療録の作成・保管を通じて患者に適正な診療が行われるようにすることと、医務を行政的に取り締まるという行政目的を主とするものであり、患者に診療録等の開示請求権があることの根拠にはならない、と判示しました。

病院は患者に対し診療録等に基づいて顛末を報告する義務を負うか

この点について裁判所は、診療契約とは、患者等が医師ら又は医療機関等に対し、医師らの有する専門知識と技術により、疾病の診断と適切な治療をなすように求め、これを医師らが承諾することによって成立する準委任契約であると解され、医師らは民法645条により、少なくとも患者の請求があるときは、その時期に説明・報告することが相当でない特段の事情がない限り、本人に対し診療の結果、治療の方法、その結果などについて説明及び報告すべき義務を負う、と判示しました。

もっとも、医師らの患者に対する説明、報告の内容、方法等自体が委任者である患者の生命、身体等に重大な影響を与える可能性もあることから、患者に対する説明、報告の内容、方法等に際しては医師等の専門的な判断も尊重されるべきであり、医師らに一定の裁量が認められ、顛末の報告も、事案に応じて適切な方法で行われれば足りるというべきである。そして、医師らが適切な方法で顛末の報告を行う場合に、診療録等を示して行う必要があるか否かは、当該診療の内容、医師らが行った説明、当該診療録の記載内容の重要性、医師らが当該診療録等を示すことができない事情、患者が顛末報告のために診療録等を示すよう求める理由や必要性、報告時の患者の症状等の具体的事情を考慮して決すべき、と判示しました。

そして、本件診療についてY病院が診療録等を示して顛末の報告を行うべき義務を負うかについては、Xに一定の後遺症が残ることはY病院に治療上の過失がなかったとしても生じうるものであると考えられるものの、Xにとっては予期しない身体障害1級という重篤な後遺症を有するに至っているのであるから、Xが、診療の経過について、診療録等に基づいて具体的な詳細を知りたいと考えることには十分な理由がある。また、診療録等を示して顛末の報告を行うことに支障があったとはいえない。そうすると、Y病院は、Xに対し、診療録等に基づいて顛末報告を行うべき義務を負っていた、と判示しました。

病院に顛末を報告する義務違反があったか

この点について裁判所は、本件では、Xが主張するような、Y病院において診療録等を隠匿してXに開示しないのではなく、Y病院の主張のとおり、診療録等を紛失したためにXに開示できなかったとしても、Y病院は、診療録等をXに開示できなかったのであるから、診療契約上の顛末報告義務違反として債務不履行責任を免れない、と判示しました。

そして、本件証拠保全手続において提示された腫瘍カルテ(本件腫瘍カルテ)や、その他のXに開示された診療録等により、診療録等が存在しない入院期間及び手術の内容がおよそ明らかになっているとはいっても、本来の入院カルテ及び本件手術関連記録の一部は開示されないままであり、Xが予期しない重篤な後遺症を有し、医療過誤訴訟を提起するに至った事情の下では、Xが、本件入院カルテないし手術関連記録には記載があったものの、本件腫瘍カルテには記載がない事項があったのではないかと疑念を有し、これらの記載部分を確認して顛末の報告を受けたいと考えるのはもっともなことであり、そのような心情は法的な保護に値するものというべきである、と判示しました。

ただし、損害に関して、Y病院の債務不履行によってXが被った精神的苦痛に対する慰謝料額については、一部のカルテ等がXには開示されており、Xの診療の全体については相当程度把握することが可能であったと認められる、として、30万円を相当としました。

なお、医療過誤訴訟を提起するために必要となった文献の購入費や鑑定費用については、顛末報告義務が医療過誤訴訟の立証の材料を提供するために認められるものではないとして、Y病院の債務不履行との間の相当因果関係を否定し、Xの請求を棄却しました。

また、Xが被った精神的苦痛は、Y病院の債務不履行に基づくものであり、不法行為によるものではないため、弁護士費用についても請求を棄却しました。

カテゴリ: 2010年5月11日
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