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No.198「拘置所に勾留中の男性患者が脳梗塞を発症。翌日転院したが、重大な後遺症が残る。速やかに転送しても後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されていないとし、転送義務違反を理由とする国家賠償請求を認めなかった最高裁判決」

最高裁判所第一小法廷 平成17年12月8日判決(判例タイムズ1202号249頁)

(争点)

転送義務違反を理由とする賠償責任の有無

(事案)

X(当時51歳の男性)は、住居侵入罪で逮捕され、Y拘置所に勾留されていたが、平成13年(以下、同年度については省略)4月1日(日曜日)午前7時30分ころ、起床の作業をせず、布団の上で上半身を起こしたままの状態でいるのを、職員が発見した。数分後も同じ状態であったため、職員がXに声をかけたところ、言葉にならない返答をするだけであった。

Xは、同日午前8時ころ、Y拘置所医務部病院(以下、医務部)に運び込まれ、医務部の午前8時30分までの当直医であったA医師(外科医)の診察を受けたところ、脳内出血又は脳梗塞の疑いがあると診断され、拘置所内の特定集中治療室(以下「ICU」という。)に収容された。A医師は、同日午前8時30分頃、以後の治療に備えて、輸液等を可能にするために、Xの鎖骨付近に針を刺して経静脈栄養法を施行し、点滴を開始するなどし、准看護師による酸素吸入も行われた。医務部のICUには、カメラが2台設置されており、医務部事務室において、患者の様子を監視できるようになっていたが、医師や看護師が常時居るわけではなく、必要に応じて医師や看護師が赴くという態勢であった。

医務部の午前8時30分からの当直医であったB医師(精神神経科が専門だが、脳外科病院に勤務していたことがあり、脳梗塞の臨床経験もあった)は、A医師から、Xについて、脳内出血又は脳梗塞の疑いがあること、CT撮影で原因の確認をする必要があることなどを聞いた。同日午前9時3分頃、B医師はXに対し、自ら頭部CT撮影を行った。その画像から、B医師は、Xの症状を脳梗塞によるものと判断し、脳浮腫対策のため、グリセオールの投与を指示し、これに基づく投与が行われた。

放射線技師Cが登庁したため、同日午前11時15分ころ、第2回の頭部CT撮影が行われた。画像にはXの脳に低吸収域が写っていたことから、B医師は、脳梗塞であるとの当初の判断が正しいことを確認した。B医師は、医務部長のD医師(一般消化器外科の医師)に対し、電話で、Xに対して執った措置等について報告した。D医師は、それまでの措置は適切であると考え、Xの容態が急変すれば連絡するように指示したのみであった。

B医師は、何度かICUにおいて治療を受けていたXのところに赴き、Xの状態を確認したほか、医務部事務室内に設置されているモニターで、Xのバイタルサインを確認していた。

Xは、同日午前11時45分には「発語なし。瞳孔左右不同なし。対光反射あり。」という状態であり、同日午後5時30分には「しきりに起きようとする。発語なし。」という状態であり、同日午後9時20分には就寝中であった。

同日午後11時30分ころ、医務部事務室内のモニターの電源が切られたが、ICU内のモニターは、24時間作動しており、これによって夜間勤務する東京拘置所の職員が異常を察知した場合には、B医師に連絡する態勢になっていた。

D医師が、4月2日午前7時ころY拘置所に登庁し、同日午前7時50分ころ、Xを診察したところ、「こちらの言うことは分かるらしい。目を閉じてと言うと目を閉じる。右半身麻痺、言語障害がある。」という状態であった。D医師は、Xに対して感染防止の投薬等をすることを指示した。

同日午前9時27分頃、Xに対する第3回のCT撮影が行われたところ、脳浮腫の進行が認められた。そのため、D医師は、同日午前10時頃、そのままY拘置所で保存的治療を行うことは不適当であると判断した。また、同日午前11時55分ころまでに呼吸管理のためXの気管切開がなされ、同日午後0時ころ、警察病院にXの受け入れの可否を照会したが、同日午後2時頃になって受け入れることができない旨の回答があり、次の搬送先として照会したE病院からも受け入れを断られた。

その後、照会したF病院から受入れ可能との回答があり、Xは、救急車で搬送され、同日午後3時41分にF病院に到着した。その時、Xは昏睡状態にあり、同日午後4時30分に行われた頭部CT撮影の結果では、Xは、左中大脳動脈領域に広範な脳浮腫が出現し、左半球は脳溝が狭小化し、脳室は拡大しているという状態であり、症状は前日や同日午前よりも増悪傾向にあった。

F病院では、Xの弁護人の同意を得て、同日午後10時15分から4月3日午前0時23分まで、Xの前側頭部の緊急開頭減圧手術を施行した。

Xには、①感覚性失語及びほぼ完全な運動性失語、②右同名性半盲、③失読・失書、④抽象的な用語を用いた意思の疎通はできない、⑤計算力は全くないか著しく低下しており、言語や文字の理解力、判断力は著しく障害されている、⑥右下2分の1顔面神経麻痺、⑦右半身完全運動麻痺等であり、①~⑤については、将来的にもほぼ変わらないであろうという後遺症が残った。

そこで、X及びXの父親は、国に対し、Y拘置所の職員である医師らは、Xに脳梗塞の適切な治療を受ける機会を与えるために、速やかに外部の医療機関に転送すべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、Xに適切な治療を受ける機会を失わせたなどと主張して、国家賠償法1条1項に基づいて慰謝料等を請求する訴えを提起した。

第一審裁判所は、Y拘置所の医師らが速やかに転医の手続きをとっていれば、Xには血栓溶解療法の適応があった可能性が相当程度あったものと認められるが、医師らが転移義務に反したため、Xが血栓溶解療法を受ける機会を完全に失ったというべきであるから、これによってXに発生した精神的損害について、国は賠償すべき責任があると判示して、上記【第一審の認容額】の範囲でXの請求を認容した。しかし、控訴審裁判所は、第1回CTの撮影がされた時点において既にXは血栓溶解療法の適応がない状態であったからその時点で医師らに転医義務があったとは必ずしも言えず、また、転医義務違反があったとしても、それによりXの血栓溶解療法を受ける機会が奪われたということにはならないと判示し、Xにつき外部の医療機関によって血栓溶解療法を受けることによりその後の重篤な後遺症が残らなかった相当程度の可能性があるとはいえないとして、そのような可能性の侵害を理由とする国家賠償請求には理由がないと判断をして、国の敗訴部分を取り消し、Xの請求を棄却したためXが上告した。

(損害賠償請求額)

患者らの請求額(一審):計3750万円
(内訳:転院義務違反に関する慰謝料1000万円+脳浮腫対策義務違反に関する慰謝料1500万円+弁護士費用250万円+患者の父固有の慰謝料1000万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:
【第一審の認容額】計120万円(内訳:慰謝料100万円+弁護士費用20万円)
【控訴審の認容額】0円
【最高裁の認容額】0円

(裁判所の判断)

転送義務違反を理由とする賠償責任の有無

この点について最高裁判所は、まず、勾留されている患者の診察に当たった拘置所の職員である医師が、過失により患者を適時に外部の適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において、適時に適切な医療機関への転送が行われ、同病院において適切な医療行為を受けていたならば、患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは、国は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害について国家賠償責任を負うものと解するのが相当である、と判示しました。

その上で、最高裁判所は、事実関係によれば、①第1回CT撮影が行われた4月1日午前9時3分の時点では、Xには、血栓溶解療法の適応がなかった、②それより前の時点においては、Xには、血栓溶解療法の適応があった可能性があるが、血栓溶解療法の適応があった間に、Xを外部の医療機関に転送して、転送先の医療機関において血栓溶解療法を開始することが可能であったとは認め難い、③Y拘置所においては、Xの症状に対応した治療が行われており、そのほかに、Xを速やかに外部の医療機関に転送したとしても、Xの後遺症の程度が軽減されたというべき事情は認められないのであるから、Xについて、速やかに外部の医療機関への転送が行われ、転送先の医療機関において医療行為を受けていたならば、Xに重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたということはできない。そして、本件においては、Xに重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたということができない以上、Y拘置所の職員である医師がXを外部の医療機関に転送すべき義務を怠ったことを理由とする国家賠償請求は、理由がない、と判示し、Xの上告を棄却しました。

カテゴリ: 2011年9月 7日
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