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No.286「左前胸部の刺創に基づく化膿性腹膜炎で患者が死亡。医師に適切な時期に開腹手術をしなかった過失があるが、患者の死亡との間に因果関係はないとし、適切な治療を受けて治癒する機会と可能性を奪われたことに対する慰謝料を認めた地裁判決」

東京地方裁判所 平成3年7月23日判決 判例タイムズ778号235頁

(争点)

  1. 開腹手術実施義務違反の有無
  2. 因果関係の有無
  3. 損害

 

(事案)

昭和57年4月13日午後11時50分ころ、A(同年4月24日死亡当時27歳の男性・兄が代表取締役を務める会社の取締役兼工事部長)は、左前胸壁部の刺創により、救急車でY1財団法人経営する病院(以下、Y病院という。)に来院した。

Y病院における当時の当直医であったM医師は、Aを診察し、受傷時の状況を尋ねたところ、Aは、同日午後11時ころに座っていたところを日本刀のようなもので刺されたと述べ、また、同行して来た警察官は、凶器は模造日本刀で刃先に約3センチメートル程度、血液が付着していたと述べた。

M医師がAの左前胸部の創傷を観察したところ、創口は約2センチメートルであり、創口より創傷内部をゾンデで探ったところ、内側へ向かって約4センチメートル挿入することができるにとどまった。腹部臥位のレントゲン写真、腹部コンピュータ断層写真撮影の結果は、右横隔膜の挙上及び心肥大を認めるにとどまった。また、来院時には左上腹部に筋肉の緊張があって、かなりの自発痛も訴えていたが、自発痛はペンタジン30ミリグラムの筋注によって軽快し、その後は痛み、呼吸苦等もなく、腹部の触診等によっても、圧痛、デファンス、ブルンベルグ徴候等の腹膜刺激症状は認められなかった。更に、意識、血圧、脈拍等の全身状態からしても、腹部損傷または出血の兆候は認められなかった。

そこで、M医師は、Aの創傷の深さは約4センチメートル程度で表層部にとどまっており、緊急手術の必要はないものと判断し、創口を消毒の上縫合したが、胸部または腹部への影響も否定できなかったことから、家族に説明の上、念のためにAをY病院に入院させることとし、輸液、抗生剤の投与等の保存的療法及び血液検査、生化学検査等を指示した。

Aは、14日午前3時ころには腹満及び膨満感があり、午前7時ころには、呼吸苦とともに急に左側腹部痛が現れ、午前7時15分ころには自制不可能となり、ペンタジン15ミリグラムが筋注され、軽度の発汗、顔色不良も認められた。

同日午前9時10分ころには、再び自制不可能な疼痛が発現し、再びペンタジン15ミリグラムが筋注されたが、この腹痛は午前11時10分ころに至っても強度であり、自制不可能であった。

14日午前8時ころY病院に登院したY2医師は、M医師からの引き継ぎによりAの入院を知り、同日午前9時ころにAを回診し、触診等により診断したところ、圧痛、デファンス、ブルンベルグ徴候等の腹膜刺激症状は認められなかった。しかし、Y2医師は、腹腔内の出血及び臓器損傷の有無を確認すべく血液検査、レントゲン写真及びコンピュータ断層写真の撮影等を指示するとともに、Aに対して、各種検査により経過を見て腹腔内の出血や腹膜炎の症状が明らかになるようであれば開腹手術をすることになる旨説明してその承諾を得た上、今後の治療方針として腹膜炎及び出血などに注意すること及び開腹手術の承諾を得てあることをカルテに記載した。

Y2医師は、同日午前10時30分ころ、血液検査の結果並びにレントゲン写真及びコンピュータ断層写真の撮影結果を初診時のものと比較検討し、現状では大量出血及び腹膜炎の所見はないと判断し、その旨をカルテに記載した。

Y2医師は、午前11時30分ころに、再びAを回診し、嘔気の訴えに応じて、鼻腔からカテーテルを挿入して胃液の吸引を行ったが血性反応はなく、また触診等によっても腹膜刺激症状は認められなかった。自制不可能な腹痛に対しては午前11時10分ころにペンタジン15ミリグラムが筋注されたが、回診の際にも訴えがあったため、更にペンタジン15ミリグラムが追加筋注された。

翌15日午前2時20分ころ、不眠と疼痛の訴えがあり、外科当直医のT医師の指示により、ペンタジン15ミリグラムがAに筋注された。

同日午前6時ころには、苦痛の訴えはなかったがAには口渇の訴えがあり、ファラー体位(腹痛を軽減しようとする体位)をとっていた。Y3医師が、同日午前中にAを回診したが、その際、左上側腹部の圧痛、腹部の膨隆及び腹壁の緊張が認められたため、その旨カルテに記載した。

同日午後2時ころ、口渇の訴えがあったが、腹痛は自制可能であった。同日午後5時30分ころ、Y4医師がAを回診し、その際、吐気、腹痛、ブルンベルグ徴候は認めなかったが、腹部は膨満して堅く、腸雑音は弱く、左側下腹部に軽度の圧痛があり、デファンスも否定できなかったためその旨カルテに記載した。

翌16日午後2時15分ころ、Y4医師の指示により、Aの腹部の立位のレントゲン撮影が行われた。そのレントゲン写真(以下、本件レントゲン写真という)には、右横隔膜下に遊離ガス像が存在した。

同日午後4時ころ、Aに強度の腹満及び息苦しさがあり、同日午後5時40分ころにグリセリン浣腸が施行された。同日午後6時ころ、腸の運動がないため、Y4医師が胃チューブを挿入したところ、胆汁様の大量の排液があった。

Y病院の医師らはAに対して、開腹手術を実施しないまま抗生剤投与、輸液等の保存的治療を続けたが、同月24日の早朝ころにAは死亡した。

Aの死因は、左前胸部に刺入口を有する刺創(その深さは18ないし19センチメートル)に基づく空腸損傷による化膿性腹膜炎であった。

Aの母(Aの唯一の相続人)であるX1及びAの兄であり、Aの勤務する会社の代表取締役でもあるX2は、Y1~Y4に対し、診療契約上の債務不履行及び不法行為に基づき損害賠償を請求した。

 

(損害賠償請求)

遺族ら(患者の母・兄)の請求額 : 1億9011万5874円
(内訳:逸失利益1億4277万3313円+慰謝料2900万円{患者固有分2500万円+遺族(患者の母・兄合計)分400万円}+葬儀費用88万8200円+治療費17万1100円+弁護士費用1728万3261円)

 

(判決による認容額)

裁判所の認容額 : 2420万円
(内訳: 慰謝料2200万円(患者固有分2000万円+患者の母の分200万円)+弁護士費用220万円)

 

(裁判所の判断)

1.開腹手術実施義務違反の有無

この点について、裁判所は、腹部損傷には、開腹手術によらなければ治癒する余地のないもの(絶対的開腹適応疾患)と、保存的治療法によっても治癒するもの(相対的開腹適応疾患)とがあること、消化管穿孔及びこれに起因する腹膜炎は、絶対的開腹適応疾患であって、その原因疾患の確定に至らなくとも、直ちに開腹手術を行うべきものであり、これを行わない限り死亡に至ること、腹部損傷について、レントゲン写真等により、腹腔内に正常な場合には認められない遊離ガス像が認められた場合には、消化管穿孔及びこれに起因する腹膜炎を疑い、患者が開腹手術に耐え得る限り、直ちに開腹手術を実施すべきであること、遊離ガス像が認められない場合であっても、著明な腹部刺激の症状、所見が認められる場合、すなわち、圧痛、ブルンベルグ徴候、デファンス、腸音喪失、麻痺性イレウス、鼓腸、嘔吐、発熱、白血球増加などがある場合においては、その他の臨床所見及び検査結果等の経過を考慮し、腹膜炎の所見の有無を判断し、腹膜炎の所見を認めた場合には、患者が開腹手術に耐え得る限り、開腹手術を実施すべきであることが認められると判示しました。

その上で、裁判所は、Aについて、16日午後2時15分ころに撮影された本件レントゲン写真に、右横隔膜下に遊離ガス像が存在し、その発現が受傷時からかなり遅延しその程度もわずかなものであり、かつ右横隔膜の拳上により横隔膜陰影に肺陰影が重なるなど、発見にかなり困難な事情が存したものの、初診時から本件レントゲン写真の撮影に至るまでに、Y2~Y4医師らがAについて特に腹部損傷の可能性を疑っており、16日までのAの臨床症状・所見(腹部の強い痛み、脱水症状を示す口渇、白血球の増多、生化学検査等の結果による尿中アミラーゼ高値など、炎症の存在を示す所見、脱水による尿濃縮及び血液濃縮を示す所見など)上その疑いがあったこと、立位撮影の場合には横隔膜下は遊離ガスが出易い場所であることを考慮すれば、Y2~Y4医師らは、通常の能力を有する医師として上記遊離ガス像を発見すべきであり、少なくとも前記レントゲン像によって遊離ガスの存在を疑い、その存否を確認すべき検査をなすべきであり、そうすれば、遊離ガスの存在を発見し得たといわなければならないと認定しました。

そして、レントゲン写真上腹腔内遊離ガス像が認められた場合には直ちに開腹手術を実施すべきものであり、この開腹手術を妨げるべき事情は認められないから、Y2~Y4医師らには、本件レントゲン写真が撮影されその読影が可能であった16日午後2時15分ころにおいて、本件レントゲン写真に腹腔内遊離ガス像を発見し直ちに開腹手術を実施すべき義務があったと判断しました。

2.因果関係の有無

この点につき、裁判所は、消化管穿孔に起因する腹膜炎においては、緊急開腹手術を必要とするが、手術的予後は発症から手術までの経過時間に比例して不良となること等を判示した上で、受傷後およそ63時間を経過した16日午後2時15分ころにY2~Y4医師らがAに対する開腹手術を実施していたとしても、この時点においてはもはや同人を救命することは著しく困難な状態にあったものというべく、本件全証拠によっても、この時点においてY2~Y4医師らが開腹手術を実施することによりAを救命し得たと認めることは困難であると判断しました。

裁判所は、したがって、本件損害のうち、逸失利益及び葬儀費用、治療費及び救命可能性を前提とする慰謝料については、理由がないと判示しました。

その上で、裁判所は、Aは本件以前には健康状態は特に問題はなかったこと、年齢も当時27歳と若かったこと、M医師による初診時にもショック状態は認められず、本件レントゲン撮影後7日余りを経た昭和57年4月24日まで生存し、その死亡直前まで比較的元気に動き廻っていたことなど消化器穿孔による腹膜炎としてはやや特異な経過を経たことが認められ、これらの事実を総合考慮すると、Y2~Y4医師らが16日午後2時15分ころの時点においてAに対する開腹手術を実施していれば、同人を最終的には救命し得たとまでは認め難いものの、その可能性もある程度存在し、少なくとも同人の死期を遅らせることができたと推認することは十分可能であると判示しました。

そして、裁判所は、Aは、Y医師らの開腹手術実施義務違反により、適切な治療を受けて治療する機会と可能性を奪われ、少なくともその死期を早められたという結果を招来せしめられたものというべきであり、このような事項に係る期待は、生命にかかわる根源的な欲求であって、法的保護に値する利益というべきであるから、Y1~Y4は、Aがこの利益を奪われたことによる損害を賠償する義務があると判断しました。

3.損害

この点について、裁判所は、前示認定のY2~Y4医師らの過失の態様、Aの救命の可能性の程度、その他本件に現れた一切の事情を斟酌すると、Y2~Y4医師らの開腹手術実施義務違反によりAが被った精神的苦痛に対する慰謝料としては2000万円が相当であると判断しました。

以上より、裁判所は、上記裁判所認容額の限度において請求を一部認容しました。その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2015年5月10日
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