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No.438「巨大児を経膣分娩させ、肩甲難産の結果左腕に麻痺が残る。国立病院の医師に、分娩方法の選択を誤った過失があるとした高裁判決」

広島高等裁判所松江支部平成4年12月11日判決 判例時報1486号73頁

(争点)

  1. 胎児娩出術施行上の過失の有無
  2. 分娩方法選択の過失の有無

※以下、原告を◇、被告を△と表記する。

(事案)

昭和59年5月ころ、Bは第一子である◇を懐妊し、同年7月11日より、M医師の、昭和60年1月24日からは帰郷分娩のため△の経営する国立病院(以下、「△病院」という。)で主治医A医師の診察を受けた。

Bの妊娠39週(昭和60年2月20日)の診察では、ザイツマイナス、子宮底長34㎝、体重64キロ(非妊娠時より17キロの増加)であった。

Bは妊娠40週の昭和60年2月26日午前7時に陣痛初来をみて分娩を開始して5時間半後(以下、分娩開始後の経過時間で示す。)に△病院に入院した。陣痛発作は弱・間歇7~8分で8時間後のラミナリア挿入による理学的分娩誘発にかかわらず微弱陣痛が続き、陣痛発作30秒でやや中・間歇2~3分となって有効な開口期陣痛の開始を見たのは19時間50分後、さらにシントシノン点滴による薬物的分娩誘発がなされたのは27時間後であった。

児頭先進部は、分娩開始時においてもSPマイナス2センチで骨盤内に未固定で、その状態は23時間後に至っても変化がなく児頭の下降はみられなかった。27時間後におけるシントシノン点滴により29時間後にようやくSPマイナス1センチまで下降した。そして、分娩室に移ったのが30時間30分後、さらに適時と判断されて人工破膜の指示があったのが31時間50分後であった(このころ児頭が固定したものと推測される)。

分娩第Ⅱ期の開始は33時間10分後であったが、陣痛発作30秒で弱~中・間歇2分で努責を開始しても陣痛が弱く児頭の下降は不良であるため、33時間30分後(分娩第Ⅱ期開始20分後)にS医師がクリステレル圧出法を試みたが、それでもなお児頭の下降は不良であった。このため、33時間40分後(分娩第Ⅱ期開始30分後)にはS医師のクリステレル圧出法と並行してA医師が吸引分娩を開始し、次いで会陰切開のうえ再度クリステレル圧出法と吸引分娩でようやく児頭が娩出され、肩甲娩出術を経て23時間53分後(分娩第Ⅱ期開始後43分後)に体躯の娩出をみた。◇は4390グラムの巨大児であった。

◇は、分娩時に左腕神経叢麻痺(上腕神経叢麻痺)の傷害を負った。この傷害はA医師が後在肩甲娩出に先立ち前在肩甲の娩出を試みた際、児頭の下方への強い圧迫牽引により左側頸部が過剰に側方伸展されたのを原因とするものであった。

なお、Bは平成2年6月11日に第二子を出産している。妊娠中にGTT検査を経て妊娠糖尿病と診断されて治療を受け、結局、CPD(児頭骨盤不均衡)と判定されて予定日より2週間早く帝王切開により分娩したのであるが、第二子も出生時の体重が4240グラム、身長53センチの巨大児であった。

そこで、◇は、医師らの娩出術の施行に不適切な点がある、◇が諸検査等を通じてCPDないし巨大児であることを識別して肩甲難産の発生の可能性を診断し、事前に、遅くとも分娩中に帝王切開術を選択すべき注意義務を怠った過失があるとして、△に対し、損害賠償請求をした。

一審(鳥取地方裁判所米子支部平成元年3月23日判決)が◇の請求を一部認めたことから、これを不服として△が控訴し、◇も左腕後遺症が平成元年6月13日に廃用手により症状固定したことなどを理由に附帯控訴した。

(損害賠償請求)

附帯控訴での患者請求額:
5078万7758円
(内訳:治療費24万5880円+通院費27万6040円+逸失利益2556万5838円+傷害慰謝料700万円+後遺障害慰謝料1400万円+弁護士費用370万円)

(控訴審裁判所の認容額)

請求額:
4098万7758円
(内訳:治療費24万5880円+交通費27万6040円+逸失利益2556万5838円+傷害慰謝料200万円+後遺障害慰謝料940万円+弁護士費用350万円)

(控訴審裁判所の判断)

1 胎児娩出術施行上の過失の有無

この点について、裁判所は、まず、本件分娩麻痺発症の直接原因は、A医師が肩甲難産(児頭娩出後の牽引で肩甲が娩出されない状態)発生下における娩出手技の一環として児頭の下方への強い圧迫牽引を施行したことにあり、吸引牽出になかったことを指摘しました。

そして、A医師のとった本件娩出方法は産科臨床において広く認知されたものであること、肩甲難産には、当初肩甲娩出の困難があってもその後自然に娩出されて母児ともに何の障害がないという場合から、いかなる処置を施しても娩出が不可能である場合までその程度に軽重があるが、一般に児頭娩出後から躯幹娩出までの許容限界時間はわずか3分程度とされていて、これを超えると臍帯圧迫による胎児への血流停止、ひいては胎児が低酸素状態に陥って胎児の死亡を含む重篤症状の発生は不可避であるため、不幸にも、いったん本件のように前在肩甲が恥骨に引っ掛かり、容易に娩出されないという重篤症状が発生すると、胎児の娩出を最優先させてより重篤な結果を回避せねばならないという緊急事態にかんがみ、その過程で分娩麻痺を発生させるような瞬時の強い外力が加わってもそれ自体はやむを得ないものであったことが認められ、そうすると、圧迫牽引により本件のような分娩麻痺が予見されたとしても結果回避の可能性がなかったから、この点においてA医師の過失を問題とする余地は存しないと考えられると判示して、この点についてのA医師の過失を否定しました。

2 分娩方法選択の過失の有無

この点について、裁判所は、まず、少なくとも巨大児分娩の場合に肩甲難産頻度が高くなるとの相関関係ひいては分娩にあたり単なるCPDの存在のみならず、児頭を含めた胎児体躯全体と骨盤の不均衡に注意を要することは、本件当時にあっても臨床医の一般的知見であると判示しました。

次に、巨大児ないし肩甲難産の発生の確定診断は分娩終了後までは医学上不能であるから、肩甲難産を回避するための唯一の防止策は、CPDと同様、母児に対する分娩前及び分娩中における臨床上の参考所見、可能な機能的・産科的診断法を駆使、総合して相関する予測(危険)因子・徴候を発見、集積し、その総合考察を通じて肩甲難産発生の可能性を予測し、この予測の下で児頭娩出前に予防的帝王切開術を断行するほかはないことになると判示しました。

そして、肩甲難産については巨大児の予測が基本となることが認められるから、本件の問題は、

(1)
Bの妊娠、分娩中に巨大児ないし肩甲難産を予測させる因子ないし徴候が客観的に存在したか、
(2)
存在したとすれば、A医師らが経膣分娩可否の診断・選択の前提として、当時の平均的医療水準に従って十分に予測因子ないし徴候を捕捉したか否か、
(3)
かくして把握されたところを基に肩甲難産発生予測の判断に到達しなかったことが、当時の医療水準に照らして合理的であったか

であると指摘しました。

その上で、分娩開始前において、◇が厳密に巨大児(4000グラム以上)の定義に該当するだけの児体重があることまでは予測しかねたとしても、少なくともこれに近い程度の大きさで推移していることは、A医師が触診の結果を正確に把握していれば予測可能であったし、Bの糖尿病家族歴・尿糖検査の結果・体重増加の程度などの因子からGTT検査を施行していれば予測できたといわざるをえないと判示しました。

更に、裁判所は、本件で分娩開始から分娩誘発をした時点ですでに27時間40分を経過していたこと、分娩が開始しても児頭が未固定であったこと、分娩第Ⅱ期に入っても児頭が下降不良であったことも指摘しました。

以上を総合考察すれば、本件では肩甲難産に関連して分娩管理上注意を払わねばならない切迫した予測因子ないし徴候が二重、三重に存在したのに、A医師らが触診の結果の判断を誤り、産科臨床における医療水準に照らして当然なされるべきGTT検査を施行しなかったことにより巨大児の予測がなされなかったために、これを端に発して分娩経過中に顕れた後続の肩甲難産発生予測因子がことごとく見落とされた結果、帝王切開術の適応が存在したのに経膣分娩を継続した過失、すなわち分娩方法を過った過失があるといわねばならないと判断しました。

以上から裁判所は、上記(控訴審裁判所の認容額)の内容で一審判決を変更し、その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2021年9月10日
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