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No.555「小児歯科医院で局所麻酔剤を使用した治療後、患児が低酸素性脳症により死亡。歯科医院の院長に業務上過失致死罪が認められた高裁判決」

福岡高等裁判所令和6年2月9日判決 判例時報2600号88頁

(争点)

死因である低酸素性脳症の原因が急性リドカイン中毒であるか否か

*以下、被告人を△と表記する。

(事案)

△歯科医師は、小児歯科(以下「△歯科医院」という。)の院長として、△歯科医院の歯科診療業務及び同業務を統括する業務に従事していた。

A (当時2歳)は、平成29年5月8日(以下、平成29年の出来事については同年の記載を省略する。)に初めて△歯科医院を受診し、それ以降、6月10日までに合計4回にわたって△歯科医師の治療を受けたが、各治療に際し、麻酔剤が使用されたことはなかった。

Aは、7月1日午後4時5分頃、父親のB及び母親のCに連れられて△歯科医院を訪れた。同日のAの治療は、△歯科医師が担当する予定であったが、Aの来院が予約した時刻より遅れたため、Q歯科医師が担当することになった。Q歯科医師は、午後4時18分頃から、歯科衛生士のQ及びQと共にAの治療を開始して、午後5時過ぎ頃に治療を終えたが、その際、△歯科医師の了解のもとに、リドカインを主成分とする局所麻酔剤を使用した。

歯科治療終了後、Aの様子がおかしいと感じたBは、午後5時10分頃から、その旨を訴えて、△歯科医師と何度かやりとりしたものの、△歯科医師は「大丈夫である。Aは疲れて寝ているだけである」旨答えるにとどまった。Cも、Aの舌先の異変を見て、「舌が上を向いているんですけど」などと△歯科医師に尋ねたが、△歯科医師は「治療したところが気になっているだけですよ」などと答えた。

両親は、Aを病院に連れて行くことにし、午後6時頃、△歯科医院を出て、車で、H病院へ向かうと、午後6時6分頃、同病院で診察を申し込み、直ちにAを受診させた。Aは、午後6時15分頃の時点で、自発呼吸はあったが、体温は41.9度、顔色不良、手足の末梢部位の冷感が著明、意識レベルはJCSⅢ‐300 (刺激を与えても開眼しない、痛み刺激に反応しない程度)、痙攣持続という緊急な治療を要する危険な状態であり、同病院の小児科医が、Aに対し、酸素マスクを用いた酸素投与や、抗痙攣薬の注射等の救命治療を行ったものの、容体は回復しなかった(なお、H病院では、午後10時1分頃、Aに気管内挿管をしようとしたところ、気管に入れるべき挿管チューブが誤って食道に入ってしまい、午後10時10分に再挿管したということがあった。)。Aは、7月2日午前1時27分頃、H病院からH病院へ救急搬送され、さらに治療が行われたが、同月3日午後0時29分ごろ、同病院で死亡した。

△歯科医師は、業務上過失致死罪で在宅起訴され、一審(福岡地裁令和4年3月25日判決)が認定した罪となるべき事実の要旨は、公訴事実とほぼ同旨の以下の内容であった。

△歯科医師は、Aが、急性リドカイン中毒を含む偶発症に陥る危険性、高発症に陥る危険性があり、とりわけ小児に対するリドカインの安全性は確立されていなかったため、Aの予後には十分に注意しなければならず、かつ、同日午後5時10分ごろ、△歯科医院において、Aの父親であるBから、顔色が悪いなどのAの異変を訴えられたのであるから、問診、視診もしくは触診によりAの全身状態を充分に認識し、又はパルスオキシメーターによる動脈血中酸素飽和度及び脈拍数の測定等を行い、これらの確認及び測定により偶発症の可能性を否定できない場合には、直ちに気道確保及び酸素投与等の応急処置を行うとともに、医療機関にAを救急搬送するなどの救命措置を講じるべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、Aが疲れて眠っているだけであると軽信して、問診、視診又は触診によりAの全身状態を十分に確認せず、パルスオキシメーターによる動脈血中酸素飽和度及び脈拍数の測定等も行わず、そのためAが急性リドカイン中毒に陥っていることを看過して救命処置を講じなかった過失により、漫然とAを急性リドカイン中毒に基づく低酸素性脳症に陥らせて、これを進行させ、よって同月3日午後0時29分頃、H病院において、Aを急性リドカイン中毒に基づく酸素性脳症により死亡させた。

一審は△歯科医師を禁錮1年6ヶ月執行猶予3年とする有罪判決を言い渡したところ、Aの死因は急性リドカイン中毒に基づくものではないし、仮に急性リドカイン中毒が発生していたとしても、△歯科医師には予見可能性がないから無罪である旨主張していた△歯科医師は控訴した。

(控訴審の判断)

控訴棄却

(控訴審裁判所の判断)

死因である低酸素性脳症の原因が急性リドカイン中毒であるか否か

この点について、裁判所は、Aの死因に関するD医師の鑑定書には、解剖したAの遺体について、病変等の有無を確認した結果が外部所見と内部所見に記載され、その後に各種検査結果が記載されており、その結果に基づいて死因等につき考察した結果が記載されていると指摘しました。裁判所は、これらの記載からすれば、D医師は、解剖時にAの遺体の状況をつぶさに観察した上で、必要な諸検査を行い、その結果、Aの脳、血液、筋肉等に相当量のリドカインが残存していることなど以外に、Aの遺体に死亡に至る原因となるような著変はなかったため、Aの死因を急性リドカイン中毒と特定したものと考えられるのであり、その鑑定の手法は合理的であるから、D医師の「急性リドカイン中毒以外の致死的損傷や致死的疾患等の致死的原因は認められない」旨の供述の信用性は否定されないと判示しました。

更に、本件でAに使用された局所麻酔剤に含まれるリドカインの量が適正量であることについては争いがないところ、弁護側は「適正量のリドカインを使用した際、脳を直接栄養する動脈にそれが流入することにより、脳に直接リドカインが達するような場合はさておき、それ以外に急性リドカイン中毒が発生することは考え難い」旨主張しました。

これに対し、裁判所は、本件で使用されたオーラ注(リドカインを主成分とする歯科用局所麻酔剤)の取扱説明書には、重要な基本的注意として、「まれにショックあるいは中毒症状を起こすことがある」旨の記載があり、副作用として「使用成績調査等の頻度が明確となる調査を実施していないため、副作用発現頻度については不明であるとした上で、「意識障害、振戦、痙攣等の中毒症状があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には、直ちに投与を中止し、適切な処置を行うこと」と記載され、これらは、過量投与の項とは別に記載されていると指摘しました。

そして、弁護側が言及する抗不整脈剤であるリドカイン静注用注射液の取扱説明書にも、やはり過量投与の項とは別に、副作用について、オーラ注の副作用と同旨の記載があるとしました。

さらに、公益社団法人日本麻酔科学会が制定した「局所麻酔薬中毒への対応プラクティカルガイド」には、「局所麻酔薬を用いるあらゆる場面で局所麻酔薬中毒は起こりうる」旨が記載されていると指摘しました。裁判所は、これらによれば、リドカインは、局所麻酔剤として使用される場合を含め、適正量を適正な方法で使用したときでも、まれに副作用として、意識障害、痙攣等の中毒症状が生じ得ることがうかがわれると判示しました。

そして、D医師は、証人尋問で、「小児は成人に比べて、血漿タンパクの一つであるα1酸性糖タンパクの濃度が低いこと、心拍が速いことの2つの理由から、局所麻酔剤中毒が生じやすい」旨の見解を具体的な理由を挙げて述べているところ(同見解は、D医師やD医師も同様の見解を示していることなどに照らしても、充分信用できる。)、オーラ注の取扱説明書に「小児等に対する安全性は確立していない」旨の記載があることも踏まえると、オーラ注は、適正な方法で適正量を使用した場合であっても、まれに副作用として、意識障害、痙攣等の中毒症状が生じる薬剤であり、取り分け、小児に使用した場合には、その可能性が高まるものと認められるから、△歯科医院でにAに使用された局所麻酔薬剤に含まれるリドカインの量が適正量であったことは、Aに急性リドカイン中毒が発生した可能性を否定するものではないと判示しました。

その他、裁判所は、弁護側が原判決には誤りがある旨をるる主張するがいずれも採用できないとして、控訴を棄却しました。

カテゴリ: 2026年7月10日
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